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ものまね界レジェンドコロッケにインタビュー〜後ろからご本人登場がターニングポイント〜

コロッケ
コロッケ (C)週刊実話Web

「ものまね四天王」の1人で超レジェンドのコロッケさん。この人を抜きに、現在のものまねを語ることはできないが、10月末の放送回をもって『ものまねグランプリ』(日本テレビ系)からの卒業を発表した。そこに至った心境や、大物歌手・芸人との秘話を語ってくれた。

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――コロッケさんのものまねの原点というのは?

コロッケ「中学3年のとき、学校で郷ひろみやブルース・リーのものまねをしていました。映画『燃えよドラゴン』が公開されたときで、『ブルース・リーに薬局がどこか聞いてみたら』っていうネタをやってました」

――すでにコロッケさんの芸の原型がありますね。

コロッケ「でもその頃は芸人になろうとは思ってなくて、おこがましくもアイドルになりたかったんですよ」

――反応はどうでした?

コロッケ「男子は大盛り上がりでしたけど、女子には全然ウケない(笑)。いや、ウケるけど、僕だと分かったら『あー、そうなんだ』と。ものまねはモテたくて始めたのに、なんで、と(苦笑)。ただ、みんなに喜んでもらえるんだ、もっと喜んでもらいたいっていう気持ちが大きくなりました。未体験の快感でしたね」

――高校卒業後に地元・熊本のショーパプで働きだしたというのも、その醍醐味を知ったからですか?

コロッケ「そうですね。それで、ショーパプで働いてイベントにも出だしたら話題になったので、調子に乗っちゃったんですね。東京に出て芸人になろうと19歳の終わりに上京しました。で、20歳の夏に『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ系)に出演しました」

――当時はどんなネタを?

コロッケ「ちあきなおみさんや松田聖子さんの形態模写で、声帯模写はやってなかったんですよ。〝本人がやりそうでやらないことをする〟っていうのが僕のコンセプトで、本人はそこまでしないだろうっていう動きをまねしているうちに火がついてきちゃって、『これ、いけるかも』と」

――確かにコロッケさんは、顔や全身の動きでご本人の一番特徴的な部分をさらにいじるスタイルですよね。

コロッケ「岩崎宏美さんはあんなにあごを出して歌わないですから(笑)。いじっちゃいけない人をいじってるから、ずっと綱渡りです」

ものまね四天王で切磋琢磨

――ちなみに、ご本人に怒られたりしたことは?

コロッケ「面と向かって怒られたことはないんですよ。怒っても仕方ないと思われてたんじゃないかな。マネジャーさんは怒ってましたね、僕の頭からつま先まで『この野郎』って目でにらんできたりして(苦笑)」

――それは確かに綱渡りですね(笑)。

コロッケ「だから、僕はものまね芸人に『一生、逃亡者でいろ』って言ってます。ご本人から声をかけていただいても調子に乗らないで、『すみませんって感じでいろ』と。やっぱり失礼なことのオンパレードですから」

――実際、コロッケさんがご本人と会ったときって?

コロッケ「目を合わせないですよ(笑)。すみませんって言ってしまって、『分かってるんならやるなよ』なんて言われたら終わりだから」

――確かに。でも好きだからものまねをするという愛情表現でもあるのかなと。

コロッケ「もちろんご本人が好きだからこそちょっかいを出してるんですけど、その方向性がちょっとおかしいだろと。昔のVTRを見たら、自分でもひでぇなと思います(笑)。ただ、僕のそういった〝本人がやりそうでやらないこと〟というものまねのコンセプトが、時代とうまく合ったような気がしますね」

――コロッケさんが名を馳せたのが『ものまね王座決定戦』(フジテレビ系)でした。

コロッケ「初優勝(1987年)して、名前が知られるようになりましたね。視聴率がすごい番組でしたから」

――毎回、20〜30%の視聴率だったそうです。番組ではコロッケさん、清水アキラさん、栗田貫一さん、ビジーフォー(グッチ裕三、モト冬樹)さんが「ものまね四天王」と呼ばれました。

コロッケ「良かったのは、みんな売れてなかったんで必死だったこと。だから面白かったんです。この中で誰かがドンと売れて中心になってたら、あとはおまけになっちゃってたけど、みんな追いつけ追い越せで切磋琢磨していました。楽屋ではとにかく『売れたいな』『どうやったら売れるのか』ってことばっかり話してましたね。ライバルだったけど、仲は良かったですよ」

ご本人登場のサプライズがきっかけ

――四天王が牽引して番組が盛り上がり、ものまねブームが到来しましたね。

コロッケ「本当にラッキーでした。そのきっかけになったのが、やっぱり美川憲一さんの〝ものまねをしている後ろからご本人登場〟ですよ。あれは僕も本当に知らなくて、完全なサプライズ。それ以降、ものまね番組の色が変わりましたね。ご本人が出ていただけるようになりましたし」

――コロッケさん、そしてものまね番組にとってもターニングポイントだった?

コロッケ「まさにターニングポイントです。美川さんに聞いたことがあるんですよ、『あのとき、どんな気持ちでしたか』って。美川さんはひと言、『チャンスだと思ったわ』って」

――失礼だと怒るとかじゃなく、乗ってきたと。

コロッケ「そう。もともと努力家だし、天才的なセンスを持っている方ですから。美川さんが僕のものまねを見て、『フン』って感じのリアクションをする。それがすべて面白かった」

――そこから美川さんもブレークしましたね。

コロッケ「僕のものまねがきっかけかもしれませんけど、それはただの発火剤。それから怒涛の如くブレークして美川さんの時代が来るわけですが、それはご本人の力ですから。美川さんもそうですけど、僕のものまねからご本人を知る方が増えてきたんですよね。今は逆もあって、BTSを僕から入って知るお年寄りもいるんです」

――なるほど〜!

コロッケ「本当にサムゲタンって歌をうたってるの?とか(笑)。『違う違う、ダイナマイトだよ!』と、そこで会話も笑顔も増える。それをできるのが、真のエンターテインメントじゃないかって思います」

――コロッケさんはBTSのものまねの中で、ダンスも披露されてますね。

コロッケ「ストリートダンスを練習しました。EXILEもBIGBANG(ビッグバン)も、ストリートダンスを踊れた上でふざけるから面白いんですよ」

志村けんさんと飲み屋で…

――基礎が大事であると。

コロッケ「美空ひばりさんのものまねをやるために、日本舞踊を覚える子って今は一人もいないんですよ。僕らは歌のイントロからこう、首をすっと抜いて入る。これは舞踊をやってないとできない所作なんです。殺陣にしてもそうですよ。志村けんさんの『バカ殿様』で、怒って刀に手をかけるシーンがありますよね。あれも所作がちゃんとしてるから面白いわけです。基礎を分からずにやると、ただの悪ふざけになるんですよ」

――まさにプロフェッショナルのご意見です。

コロッケ「志村さんとは飲み屋で会うたびに、2人でよくそういう話をしました。『コロッケはちゃんと分かってるから、俺もこういう話ができてうれしい』って言っていただきましたね。志村さんがいつも言っていたのは、『でも、その努力がバレちゃいけないよ』と。僕もこだわってやってることをほったらかしにはしたくないんで、そろそろしゃべってもいいのかなと。そういう年齢になったってことですね」

――先日、『ものまねグランプリ』を卒業され、ますます残念です。どうして卒業を?

コロッケ「惜しまれているうちにやめようというのが本音です。これからまだいろんなことをやりたいので、少しずつ準備しています。大きなものだと、来春、エンターテインメントアカデミーを作ろうと思ってます」

――後進の育成ですね。

コロッケ「それが一番の目的です。デビューしたくてもできない金の卵がいっぱいいると思うんですよ。芝居、ダンス、楽器、もちろんものまねも、講師を招いて学べるようにします」

――それは楽しみです!

コロッケ「で、毎年フェスをやりたい。テーマは〝本物と偽物〟。偽物が出た後に本物が登場。僕が司会で『ご本人いかがでした?』みたいな(笑)。僕が子供の頃に見ていたような、ファミリーで楽しめるエンタメを提供したいと思っています」

(文/牛島フミロウ 企画・撮影/丸山剛史)

コロッケ
1960年、熊本県出身。高校卒業後、ショーパブやゲイバーなどを中心に活動。その後、上京して日本テレビ系『お笑いスター誕生!!』に出演し、さらにフジテレビ系『ものまね王座決定戦』で、清水アキラ、栗田貫一、ビジーフォーとともに「ものまね四天王」としてブレークした。

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