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インタビュー・話題のクズ芸人岡野陽一〜パチンコに出会って借金1200万円〜

岡野陽一
岡野陽一(C)週刊実話Web 

友人や芸人にまでお金を借りまくる「クズ芸人」としてブレークした岡野陽一さん。家族への度重なる不祥事が明らかになり、家庭内で長男から次男へ降格し、実妹から「貴様」と呼ばれるなど、クズエピソードに事欠かない。そんな岡野さんにクズ芸人の生き方、矜持などを聞いた。

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――人力舎が運営する養成所「スクールJCA」に入学したのは26歳だそうですが、それまではどうしていたのでしょうか。

岡野陽一(以下、岡野)「ずっとパチンコだけをやっていました。中学時代に『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)をいつも見ていて芸人に憧れて、高校卒業後は吉本に行きたかったんですが、コンビを組もうと思っていた友達は就職が決まっていて。それで京都の大学への進学を選びましたが、パチンコに出会っちゃいまして。こんなに楽しいことがあるのかと通い始めたんです」

――毎日入り浸るくらい?

岡野「ちゃんと365日、朝9時から夜11時まで。大学もまったく行かず、4年間で0単位ですよ」

――アルバイトもせず?

岡野「パチンコ屋に合わせて、夜12時から朝8時まで『チコマート』という地域密着型のコンビニで働いていました。だから当時に比べると、今のほうが寝ているくらいですよ」

“哀愁漂うおじさん”登場のワケ

――岡野さんといえば借金で知られていますが、当時はいかほどでしたか?

岡野「学生証を出すだけで借りられる学生ローンで5〜6社から20万ずつ計150万円とか。でも最後に行った会社のおじさんがいい人で、『貸してもいいけど、これ以上借りたら兄ちゃん首吊らなアカンで』と言われて怖くなり、次の日から真剣にパチンコと向き合ったんです。ひと玉もムダにしないぞと。それで150万円返せちゃったのが良くなかった。成功体験になっちゃって」

――それで借金を重ねるようになったと(笑)。

岡野「大学の友達は就職で去り、1年ほど一人でパチンコを打つだけのお化けみたいになっていた頃、福井の友人から誘われて工場で働くことになったんです」

――何の工場ですか?

岡野「分かりません(笑)。僕は、ハシゴに登って高い場所でネジを締めるおじさんの、ハシゴを支えるおじさんを、見る仕事をしていました。8時間見てるだけ」

――どういうことですか!?

岡野「僕は〝見る才能〟があるらしく、一人で地下の部屋へ行き、管から垂れる茶色の泥が茶褐色になったら上の者を呼びに行く仕事もしました。茶褐色研修もやったんですよ。パターン違いの茶色を見せられて『茶褐色はどれ?』『AとD!』『正解、合格!』と」

――怖いですね(笑)。

岡野「それを1〜2年やっていたかな。泥を見ていたある日、芸人になろう、と思って。すぐに家で養成所を調べて、唯一募集していたスクールJCAに入りまして。最初の飲み会でたまたま隣だった本田和之と『巨匠』というコンビをなんとなく組みました」

――岡野さんのコントといえば、なぜか胸を打つ〝哀愁漂うおじさん〟がよく登場します。当時からおじさんネタが多かったのですか?

岡野「いや、いろんなネタを作って女性、子供、学生とかいろいろやりました。相方は演技ができて器用なタイプだけど、僕はどの役も全然できないことに途中で気付いて。でも、おじさんだけは自然にできたんです。僕がネタを書いていたので、自然と自分に負担のないおじさんばかり書くようになりました。逃げのおじさんですよ」

「借金ネタ」でブレーク

――工場やパチンコで、おじさんとばかり触れ合っていたからでしょうか。

岡野「そうですね。多感な時期におじさんとしか喋っていなかったですから。ギャルを演じようにも、喋ったこともないから分からないし、できないわけです」

――おじさんのどんなところに魅力を感じますか?

岡野「今日だけを考えて、その日を必死で生きていらっしゃる、人生を点で見ているところです。だいたい大人になると貯金をしますが、奴らは今日ギャンブルで勝つか負けるかだけをまっすぐに見ている。明日のことは何も考えていない。それがいいですね。

長年ギャンブルをやって分かりましたが、悲しみはいらないんですよ、我々には。僕も最初は勝敗に一喜一憂していました。でも負けたときにいちいち悲しんでいると心が持たない。明日も行かなきゃいけないし。そうすると、悲しみってマジでムダで。悲しんでもお金は返ってこないし、ヘラヘラ生きているほうがいいんです」

――そういったおじさんのネタを含め、キングオブコント(以下、KOC)の決勝に二度も進出していますが、2016年に解散しピン芸人となりました。ネタの作り方に変化は生じましたか?

岡野「それまでは、僕が変なおじさんをやって、ポップな存在感の相方が子供役で『何それ!?』と見る側の目線で演じてくれていたんです。でもピンで同じことをやると、ただただ奇人が出てきて、なんのツッコミもなく4分経ったら帰っていくだけ、という状態になりまして。とはいえ、キャッチーなギャグなんて僕にはできないし、諦めてパチンコを絡めたネタを作ったら、それがウケました」

――2019年は「R-1ぐらんぷり」(現・R-1グランプリ)決勝に残りました。

岡野「いや〜、あれはエライ目に遭いましたよ。『鶏肉をもう一度大空に飛ばす』というネタで、掴みで『もう一度大空に飛ばしてやるんだよ』と言うと、ライブではドカーンとなるんです。が、同じ音量で『ひえーー!』という悲鳴がね。一瞬、悲鳴の原因が分からなくて『ち○こが出てるのかな?』と思ったくらいで(笑)。すぐに冷静になって『あ、終わったな』と」

――前代未聞の悲鳴で、ある意味、爪痕を残したと言えます(笑)。その前後からでしょうか、ギャンブルや借金ネタでの番組出演が多くなった印象があります。17年には『人生逆転バトル カイジ』(TBS系)に出演していますよね。

岡野「あーー! 今思い出しても一番恥ずかしいというか…スケジュール7日押さえられて『金のためならなんでもやる!』なんて宣言しといて、初日の鉄骨渡りゲームを高所恐怖症ゆえに1歩も渡れず終わったんです。共演していた空気階段の鈴木もぐらも同じく初日で帰って、2人で高円寺で飲みましたもん。『俺たち終わったな、干されるかもな』と。確かにその頃から借金ネタで呼ばれることが多くてテレビは残酷だなと思いました。『コントをやってください』なんて一度も言われませんでしたし」

「お金いらないんです」

――昨今は〝クズ芸人〟として注目を浴びています。

岡野「まさかクズブームが来るなんて思わないし、複雑ですよね。でももう、クズ村も終焉を迎えていますよ。去年のKOCで空気階段が優勝して、2位がザ・マミィで、クズがワンツーを決めたことで〝頑張るクズ〟がいることがバレてしまって。本来クズは頑張らずにお金を稼ぎたいのに。生態系が崩れ、村を守っているのは僕だけです」

――岡野さん自身も今年のKOCで、ピン芸人の吉住さんと「最高の人間」というコンビを組み6位でした。

岡野「即席コンビなのでネタのストックがなく、夏の間ずっと地下の稽古場でネタを作って合わせていました。ピンになってから初めての芸人らしい生活でした」

――来年も出場しますか?

岡野「うーん、毎年アレが来ると思うと…夏は普通に海とか行きてーっすよ」

――(笑)。その間、ストレス発散方法は?

岡野「時間がなくて競馬も行けなかったから、キツかったんですよね。予想に8時間くらい必要なので。だからKOC後の競馬は、めっちゃ負けたけど最高に楽しかったですね! 負けるって、自由の象徴ですよ」

――深い言葉です(笑)。ちなみに現在の借金は?

岡野「今年に入りお陰様で収入も増えまして、1200万をキープしています」

――え! TBS系日曜劇場『アトムの童』にも出演しているのに、そんなに…。

岡野「余裕のある友人たちに債権者様になっていただいていますが、手元にあるとすぐにゼロにしちゃうんです。目の前にあるものを全部食べちゃう昆虫と同じ。前も競馬で200万勝った翌週、210万負けましたし。だからもう、お金いらないんです、本当に」

――友人たちからはどうやって借りているんですか?

岡野「LINEの文面や喋る言葉を徹底的に考えます。鏡の前で喋ったり、レコーダーに吹き込み『この言葉は聞き返すと不快だな』とか。季語を入れてみるとかね。クスッとなれば勝ちなので。土下座もボケですもん。本気の土下座なんてあたしゃしたことありません」

――(笑)。今後、やりたいことを教えてください。

岡野「ギャンブルの何が楽しいかって、〝汁〟が出るからなんですね。これからは皆様の汁を出すために貢献できないかなと。死ぬまでに一個くらい公営ギャンブルを作れたら最高だと思っています。全国民のじゃんけん大会とかね。だから今、賭博関連の法律を勉強している最中です」

(文/有山千春 撮影/丸山剛史)

おかの・よういち
1981年、福井県出身。スクールJCA17期出身で、お笑いコンビ「巨匠」を結成。2016年1月にコンビ解散後、ピン芸人として活動を始める。近年は多額の借金を抱える「クズ芸人」としてブレーク。19年にはR-1グランプリで決勝進出も果たしている。

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