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衣笠祥雄「1球目はファンのために、2球目は自分のために、3球目は西本くんのために振りました」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第22回

Dan Thornberg
(画像)Dan Thornberg/Shutterstock

プロ野球連続試合出場2215試合の日本記録を持つ衣笠祥雄。広島が球団初のリーグ優勝を果たした1975年には強打の三塁手として活躍し、山本浩二、外木場義郎、大下剛史らと共に「赤ヘル軍団」と呼ばれた主役の一人だった。

1987年6月13日、広島市民球場での中日戦で、メジャーリーグ(MLB)のルー・ゲーリッグを抜く2131試合連続出場を達成した衣笠祥雄。試合終了後のセレモニーでは、スタンドに向けて「私に野球を与えてくれた神様に感謝します」とあいさつした。

1965年に捕手として広島カープに入団した衣笠は、6試合で先発マスクをかぶった後、思い切りのいい打撃を評価されて内野手に転向。68年以降は一軍に定着して、リーグを代表する打者に成長した。

連続試合出場の始まりは1970年10月19日の巨人戦。以後、17年間にわたって1試合も休むことはなかった。

連続試合出場へのモチベーションを問われた衣笠は、「いつ交代させられるか分からないという危機感と、自分のポジションというのは絶対に離しちゃいけないという感覚の2つを持っている。これが僕の野球をいつも支えてきたんです」と語っている。

大記録達成の間には、広島初のリーグ優勝や日本一などがあり、衣笠はそんな「カープ黄金時代」の立役者の一人となったが、個人としてはさまざまな苦境も味わっている。

大けがでもフルスイング

フルスイングが持ち味だった衣笠は長打で打点を稼ぐ一方で、安定した成績を残すことは難しかった。打率が振るわぬシーズンも多く、通算2543安打を放ちながらも3割超えは84年の一度きりだった。

また、投手に向かっていく打撃スタイルは、死球を避ける動作を遅らせることになり、現役生活を通じての死球数は161に達している。これは日本プロ野球界において清原和博の196、竹之内雅史の166に次ぐ歴代3位の記録である。

1979年8月1日、広島市民球場での巨人戦。7回裏2死一、二塁で西本聖の投じたシュートが左肩を直撃し、衣笠はその場に倒れ込んだ。

西本はその前の2人の打者にも死球を与えており、三度目の死球にいきり立つ広島の選手たちがベンチから飛び出し、両軍入り乱れての大乱闘が始まった。

そんな騒動の中、なんとか立ち上がった衣笠は広島市内の病院へ運び込まれ、左肩甲骨亀裂骨折、全治2週間の診断が下された。その夜は激痛が収まらずに何度か嘔吐し、まともに眠ることができなかったという。

球団関係者もファンも記録が途絶えることを覚悟したが、衣笠は翌2日も球場へ姿を現し、7回裏には代打で登場。マウンドで対峙した江川卓が3球続けてアウトコースへ直球を投じると、これに衣笠は大けがを感じさせないフルスイングで応じた。

結果は三球三振だったが、敵味方関係なくスタンドからは大声援が送られた。試合後に衣笠は「1球目はファンのために、2球目は自分のために、3球目は西本君のために振りました」とコメントしている。

この時に限らず、衣笠は死球の際、相手投手に対して怒りを表すことはほとんどなく、謝る投手に「大丈夫だから」と手のひらを見せて、颯爽と一塁へ向かうのが常だった。

ほとんど肉しか食べない偏食家

1984年には37歳にして、初の打撃タイトルとなる打点王を獲得。日本シリーズではMVPに輝き、三度目の日本一に貢献した。

衣笠はケガだけでなく、年齢による衰えにも強かったというわけだが、ではそのために節制をしていたのかといえば、実際にはそうでもなかったようだ。

少なくとも食事に関してはかなりの偏食家で、普段からほとんど肉しか食べず、野菜不足を指摘されると「野菜は牛が食うとる」と話していたという。そこはやはり、生まれ持っての体の強さがあったのだろう。

世界記録を達成した際、衣笠は「いつか、誰かにこの記録を破ってほしい。この記録の偉大さが本当に分かるのは、その人だけだろうから」と話した(現在の世界一はMLBで2632試合連続出場を果たしたカル・リプケン・ジュニア)。

実際、記録達成の前には「記録をつくるために温情で出場させてもらっている」などと、手厳しい批判を受けることもあった。

この1987年は正田耕三が首位打者、助っ人のランスが本塁打王の活躍で、広島ファンからするとチームが首位に立てないことへの歯がゆさもあったのだろう(球団成績は3位)。

結局、同年に「満足な守備ができなくなった」との理由で、現役引退を表明した衣笠。連続出場2215試合目となったシーズン最終戦にスタメン出場すると、第1打席で本塁打を放ち見事に有終の美を飾ってみせたのだった。

《文・脇本深八》

衣笠祥雄
PROFILE●1947年1月18日〜2018年4月23日。京都府出身。平安高3年時の64年に春夏連続で甲子園出場。65年に広島入団。通算成績2677試合、2543安打、504本塁打、1448打点、266盗塁。

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