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“猪木信者”の怒りが爆発!新日本プロレス「三大暴動事件」の真実

アントニオ猪木さん
アントニオ猪木さん (C)週刊実話Web 

10月1日にこの世を去った〝燃える闘魂〟アントニオ猪木さんを偲び、過去の『週刊実話ザ・タブー』に掲載した関連記事をプレイバックする。

【年齢・肩書等は掲載当時のまま】

かつてプロレスファンは熱かった。納得のいかない試合には「ふざけるな」「カネ返せ!」と叫び、時にはトラブルに発展することも珍しくなかったのだ。

特に過激なプロレスを標榜していた新日本プロレスは、ファンも〝猪木信者〟と呼ばれるほど熱狂しやすく、昭和の時代にはいわゆる「三大暴動事件」を引き起こしていた。

大時計を破壊し看板は真っ二つ

【1984年6月14日/ハルク・ホーガンvsアントニオ猪木(東京・蔵前国技館/第2回IWGP優勝戦)】

前年の第1回IWGP大会、同じくアントニオ猪木とハルク・ホーガンの間で争われた優勝戦は、衝撃の〝舌出しKO決着〟に終わった。その後、新日本プロレスにおいては、看板スターのタイガーマスクが退団。所属選手の大量離脱によるUWF旗揚げなどのトラブルが相次ぎ、猪木自身も個人的事業への資金流用を問題視され、クーデターにより一時的に社長の座を追われる事態となった。

猪木は試合前に「この1年いろいろあったよ。いろいろありすぎた。今日はなんとしても負けられない」とコメントしたが、これは偽らざる本心であっただろう。

一方のホーガンも、この1年間でさらなる成長を遂げた。1984年1月にWWF世界ヘビー級王座を獲得すると、同団体の全米侵攻サーキットの主役として、大物相手の防衛戦を展開。米マット界全体を背負う大スターとして、着々と階段を上り始めていた。

どちらも負けられない一戦、気合十分で臨んだ猪木だが、心身ともに充実期にあるホーガンは容易に攻略できる相手ではない。一進一退の攻防の末、17分51秒、両者リングアウトとなる。

だが、この当時のIWGPはタイトル戦ではなく、あくまでもナンバーワンを決める闘いというのが建て前(タイトル戦なら引き分け防衛でホーガンもいったんはそれを主張した)。また、80年のウィリー・ウィリアムスと猪木の異種格闘技戦や、81年の田園コロシアムにおけるアンドレ・ザ・ジャイアントvsスタン・ハンセンなど、不透明決着となったビッグマッチでは〝延長戦〟が恒例であった。

そして、何よりも猪木の勝利を見届けたいというファンの熱い思いが、会場を揺るがすほどの延長コールを呼び起こした。そうして始まった「延長戦」であったが、特に見せ場もなく、猪木が足4の字固めをかけたままエプロンサイドで膠着状態となり、わずか2分13秒で両者カウントアウトの裁定。

これに納得のいかないファンから、再度の延長コールが起こり、試合は異例の「再延長戦」へともつれこむのだが、そこで事件が勃発する。

前年の再現とばかりにロープ際の猪木へアックス・ボンバーを放ったホーガンは、崩れ落ちる猪木を起こしてロープに振ると、さらに追撃の斧爆弾を放つ。猪木はカウント2でロープに足を伸ばし、辛くも負けを逃れたが、これをホーガンは力任せに担ぎ上げ、近寄ったレフェリーを巻き込んでまたもや場外に転落してしまう。

ふらふらと立ち上がった猪木の背後から、ホーガンがさらにアックス・ボンバーを放ち、猪木は頭から鉄柱へ。猪木、絶体絶命のピンチに登場したのが、リングサイドで観戦していた長州力だった。

長州は、まず猪木にラリアットを食らわせると、返す刀でホーガンにも一撃。これはアックス・ボンバーとの相打ちとなるが、こうして長州とホーガンが対峙しているうちに、猪木はセコンドに押し上げられてリングの中へ。場外転落から復活していたレフェリーがカウントを数えて、3分11秒、猪木のリングアウト勝ちがコールされた。

「当時のホーガンから猪木が勝ち星を得るためには、ホーガン勝勢の中で何かしらのトラブルが発生しなければ、理由付けにならなかったということ。しかし、観客はそんな事情は知らないし、何よりも長州の乱入というのが意味不明すぎました」(プロレス記者)

その後に猪木と長州の対抗アングルを組んでいこうという意図から、社命で長州を乱入させたとの説もあるが、このときは特に猪木やホーガンとは因縁がなかった。そもそも猪木の完全復活を期待して集まったファンにしてみれば、そんな会社の事情など知ったことではない。

場内には「カネ返せコール」が渦巻き、リングには座布団や空き缶が投げ込まれる。リングの照明が落とされても帰る様子のない一部の観客たちは、場外鉄柵や大時計を破壊。《IWGP決勝戦 ハルク・ホーガンvsアントニオ猪木》と書かれた告知看板は真っ二つに折られ、会場の隅で倒れた消火器が白煙を吹き上げる騒ぎとなった。

蔵前警察署から警官が出動してなんとか観客を会場の外に出したものの、なおも怒りが収まらない1000人ほどの観客は、蔵前国技館前で決起集会を開催するに至ったのだった。

海賊男の勘違いがすべての元凶

【1987年3月26日/アントニオ猪木vsマサ斎藤(大阪・大阪城ホール/INOKI 闘魂LIVE パート2)】

全日本プロレスに参戦していた長州力と維新軍の復帰が濃厚となり、新日マットはにわかに活気を見せ始めていた。それに先立ち猪木に対戦を挑んだのが、維新軍の参謀役を務めていたマサ斎藤である。

「アメリカでの警官暴行容疑がかかっていた斎藤は、全日には1シリーズのみの参戦で、中継する日本テレビとも長期契約を結んでいなかった。そのため、契約が切れるまで新日に上がれない長州のいわば代役として、前年にアメリカ刑務所暮らしを終えた斎藤が登場したわけです」(プロレスライター)

3年ぶりの一騎打ち、ともに試合序盤は好敵手の力量を確かめ合うかのようなじっくりとした展開となるのだが…。

斎藤がラフファイトに転じ、猪木を担ぎ上げてその股間をトップロープに打ちつけたのを合図としたかのように、その直前から観客席をうろついていた海賊男がリングに上がる。

ホッケーマスクをかぶり、ビリー・ガスパーと名乗る謎の男は、同年初頭、フロリダ遠征中だった武藤敬司を襲い、さらに新日襲撃を予告していた。

と、ここまではプロレスにありがちな乱入劇であったが、リングに上がった海賊男はなぜか斎藤のほうへと向かい、取り出した手錠で自分と斎藤をつないでしまったのだ。この行動の意味が分からず、ポカンとするのは観客だけではなかった。

「斎藤はきょとんとしているし、海賊男はなぜかオロオロ。猪木は仕方なく海賊男を殴ってみたものの、ホッケーマスクの上からでは自分の手が痛かったようで距離を置いてしまった。レフェリーも明らかに動揺していました」(同)

実は、このとき海賊男に扮していたのは、メキシコから新日に留学していたブラック・キャット(クロネコ)で、まだ日本語に不慣れなところがあったため、事前に聞かされていたアングルとは異なる行動をとってしまったのだ。

本来の予定としては、猪木を手錠でロープにつなぎ、動けなくなったところを斎藤と海賊男で攻撃するはずだったという。手錠を使ったのは斎藤=収監からの連想だろう。

とにかく、斎藤と海賊男がつながっていたのではどうしようもない。海賊男に引っ張られるようにして控室へ引き上げた斎藤は、そこで手錠を外してきたのだろう。急ぎリングに戻って猪木と殴り合いを始め、両者とも血だるまの中、なぜか斎藤の反則負けがコールされた。

壮絶な殴り合いで高ぶった猪木は、斎藤が引き上げたリングで「明日でも明後日でもいい、必ず決着をつけてやる」と叫んだものの、これが観客の怒りを買ってしまった。訳の分からない結末でモヤモヤしているところに、自分勝手に「明日やる」と言われても、それは納得できないだろう。

「今からやれ!」とのヤジも当然のことで、これをきっかけに一部ファンが暴徒化し、リング上にイスやあらゆるゴミが投げ込まれる。機動隊と警察が出動して観客全員が会場の外に誘導されたのは、試合終了から2時間を経た午後11時すぎのことであった。

両国騒乱! リングが修羅場に

【1987年12月27日/アントニオ猪木vsビッグバン・ベイダー(東京・両国国技館/イヤー・エンド・イン国技館)】

視聴率が低迷したワールドプロレスリング中継は、87年4月に山田邦子を司会に起用したプロレス&バラエティー番組『ギブUPまで待てない!』に改変された。しかし、どこかおちゃらけた雰囲気がプロレスファンの反発を買い、結局、同年10月には放送時間を月曜夜8時へと移し、従来通りのプロレス中継へと戻ることになる。

それでも視聴率が大きく回復することはなく、そこでテレビ朝日がテコ入れのため投入したのが、同年夏にフライデー襲撃事件の謹慎から復帰したばかりのビートたけしであった。

TPG(たけしプロレス軍団)を名乗り、マサ斎藤を参謀役として猪木への挑戦を表明すると、東京スポーツの紙面を通じて抗争をあおりつつ、ついに、たけしが年末の両国国技館へと現れた。

「今のファンであれば大物芸能人とのコラボを歓迎するでしょうが、当時の感覚は違っていて、芸能人などは邪魔者と見なすところがありました。やはり『ギブUP~』時代のアレルギーもあったでしょう」(プロレスライター)

当日、たけしもそんな会場の〝歓迎されていない空気〟を感じ取ってか、どこかうつむきかげんの様子であったが、用意されたシナリオは急に変えられない。

たけし軍団のガダルカナル・タカやダンカン、さらには斎藤が猪木に呼び掛け、TPGの刺客として登場したビッグバン・ベイダーとの直接対決を迫ると、猪木も「ようし受けてやるか。どうですか、お客さん!」とこれに応えたのだが、肝心の観客たちはまったく納得していなかった。

この日のメインイベントとして発表されていたのは、猪木と長州力のシングル戦。長州は前田日明〝蹴撃事件〟による故障からの復帰戦で、猪木との直接対決は3年4カ月ぶり。ほとんどのファンはこの試合を目当てに来場していたのだから、納得がいかないのも当然のことだった。

セミファイナルで長州がタッグマッチのリングに上がると、観客席から「やめろ!」の怒号が響き、試合中にもかかわらず紙コップや弁当の空き箱などのゴミが、容赦なくリングへ投げつけられた。

だが、この試合後に猪木が登場して、引き上げようとする長州に「待て!」と呼びかけ、再度カード変更。結局、猪木vs長州が行われることとなる。

これにより、いったんはファンも沈静化したが、その試合はやたらと殴り合った末に、セコンドの馳浩が乱入して長州の反則負け。期待外れもいいところの謎決着に終わったことで、またもや会場に不穏な空気が流れ始めた。

続いて始まったベイダー戦。これがまた長州戦以下の凡戦で、猪木は攻撃らしい攻撃をすることなく、一方的にベイダーに攻め込まれ、わずか2分49秒、パワースラムで3カウントを数えられてしまった。

さんざんカード変更を繰り返した揚げ句、ふがいない結末ではファンが収まらないのも当然で、試合後も延々と「ふざけるな」「カネ返せ」の罵声が飛び交うことになった。

さらに、収拾をつけるためリングに再登場した猪木が、あろうことか「みなさん、ありがとう」と、思いっきり的外れなマイクをしたことで、ついに観客の怒りは沸点に達した。

会場のあちこちで壁や升席が破壊され始め、天覧席のシートにまで火をつけられる始末。警察、消防が出動するまでの事態に、国技館の所有者である日本相撲協会が激怒し、新日は300万円の賠償金を払うことになる。

また、その後は約1年2カ月にわたり、同会場の使用を禁止されたのであった。

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