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二度も同じ店で出会った“昭和の喜劇王”藤山寛美~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

漫才ブームの頃、B&Bは東京に住んでいましたが、ちょくちょく大阪のテレビ番組にも出演していたんです。ある日、大阪でテレビ番組の収録があった。俺らも漫才ブームでお金を稼げるようになったから、それまで値段が高くて手の届かなかった噂のクジラ料理専門店へ洋八とマネジャーの3人で訪れたんです。

初めて店内に足を踏み入れると、なんと〝昭和の喜劇王〟藤山寛美先生がいたんですよ。若手の頃からお世話になっている読売テレビの名物プロデューサーの勧めで、劇場やビデオを見て勉強させてもらっていましたけど、まさかご本人に会えるとは思いもしなかった。ビックリしましたね。しかも、「B&B君」と寛美先生から声を掛けていただいた上に、「もみじまんじゅう〜!」という俺のギャグを知っていたんです。

なんでも寛美先生が従業員役で出演されたカステラ屋を舞台にした喜劇があり、お客さんが「カステラありますか?」と従業員役の寛美先生に尋ねると、「他にもありますよ」。「何があるんですか?」「もみじまんじゅう〜!」。芝居の中で俺のギャグをアドリブで使ってくれていたそうです。

挨拶を終えて、クジラ料理を堪能していると、寛美先生が「先に帰るな」と俺の肩を叩き店を出た。俺らも会計をお願いすると、「寛美先生が支払って帰りましたよ」。困惑して「どうしたらいいんですかね?」と女将さんに相談すると、「寛美先生はご存知の芸能人の方がいらっしゃると、いつもご馳走されるんです」。仕方がないから「すみません。また来させていただきます」と言い残し、その日は帰りました。

先生のうわさをしていると…

2カ月半後、その店のクジラ料理があまりに美味しかったからまた行ったんです。店の前に差し掛かり「寛美先生がまたいたらタダやな」なんて冗談を言い合っていた。すると、本当に寛美先生がいらっしゃった。

松竹の劇場に近かったからでしょうね。当時の寛美先生は劇場でしか見られなかった。しかも、チケットは常に完売。俺らの顔を見るなり「また会ったな」。「先日はご馳走様でした。ありがとうございました」。「いやいや、僕は毎日劇場に出ているから大丈夫よ」。

食事中、寛美先生と作家の方が芝居の台本について話し合っているのが聞こえてきましたよ。寛美先生たちが店を出る際に挨拶すると、「また会えたら良いね」と返してくれた。そして、またも寛美先生が先に支払ってくれていたんです。

さすがに申し訳ないので、花でも贈ろうかと考えましたけど、女将さんが俺らに「先生はよくご馳走するから、なんのお返しもいらないわよ。こうやってしゃべるだけでも先生は楽しいんやろうね」とアドバイスしてくれた。「よろしくお伝え下さい」とだけ告げ、店を後にしました。

伝説的な人物に、どこで会うか分からないものです。大阪には飲食店が何百、何千軒とあるわけでしょ。いくら松竹の演芸場が近くにあるからといって、クジラ料理店ばかりに来るとは限らない。それでも、2回連続でご馳走までしてもらった。こんな不思議な体験は後にも先にもないですよ。

でもね、この店での出来事はこれだけでは終わらないんです。次回書きますね。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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