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『昭和猟奇事件大捜査線』第21回「強姦致傷の前科と土地鑑を持つ男との関係は?消えた病院勤務の娘」~ノンフィクションライター・小野一光

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(画像)dugdax/Shutterstock

「××病院に事務員として勤務している長女の早苗が、昨日出勤してから午後11時ごろになっても帰って来ない。それで××病院に電話をしたら、昨日は出勤していないと言われたんです」

主婦の工藤文江(仮名、以下同)が、九州地方某県のT警察署に、娘の早苗(24)がいなくなったと届け出たのは、昭和30年代の梅雨の盛り。文江によれば、「家出の理由となるような心当たりはない」とのこと。

T署はまず家出人として公開捜査するように手配を行い、派出所員により、出勤途中の通行人に対する聞き込みを実施している。

一方で、早苗の家族や勤務先の病院の関係者ら有志は、彼女の通勤路を捜索。病院の事務長と職員が雑木林に囲まれた山道の左右を捜索していたところ、早苗の所持品らしいものを見つけたのだった。

そこでさらに、杉林の奥へと捜索を進めたところ、下半身を露出して仰向けに倒れている早苗の死体を発見したのである。

通報を受けたT署では、強姦殺人事件の可能性が高いとして、すぐに県警本部に連絡を入れ、現場保存を行う。やがて到着した県警本部捜査一課と同鑑識課の面々が、現場の見分を行うことになった。

早苗の死体は、水玉模様入りのブラウスに灰色のタイトスカートを着用。素足のまま、顔をやや右に向けて仰向けとなっており、両手は体に沿って伸ばし、両足は両膝を約90度外側に開いて曲げられていた。スカートとシュミーズは腰付近までまくられ、ズロースは陰部に当たるところから刃物で切断されている。

頭部および顔面を見ると、鼻腔に出血があり、結膜には溢血点が認められた。頸部には扼殺痕である表皮離脱があり、死因は扼殺であることは明らかだった。さらに両腕には泥土が一面に付着し、皮下出血を伴う擦過傷が多数散在することなどから、被害者は相当抵抗したことが窺われた。

バスには乗車していない…

死体の周辺には早苗のものである白いビニール製手提げと、口紅の入ったビニール製小型がま口があった。さらに3メートル離れた地点には、彼女の革製ヒール靴などが点在し、そこから山道にかけては、一面に草が踏み荒らされた跡が残っている。

そうしたことから、早苗は上方の山道を通過する際、そこから谷底に引きずり込まれ、死体のある場所で強姦された後で、扼殺されたのだと推定された。

また、後の解剖により、死亡推定時刻は、行方不明になった当日の午前中であると認められている。

ただちにT署には、総員100名の捜査本部が設置され、以下の捜査方針が立てられた。

○被害者の足取り捜査

○現場を中心にした通行者の聞き込み捜査

○付近の炭坑に就労する坑員、下請け関係者の捜査

○犯行後所在不明となった者の捜査

○性犯罪前歴者の捜査

○不良者、前科者の捜査

○被害品の捜査

早苗は5年前から現在の病院に勤めており、被害当日は会議のため、T市内の保健所へ出張することになっていた。その日の朝、彼女は弟が外出先から忘れ物の書類を探してほしいと、午前8時5分ごろにかけた町内電話を受けており、その後、「書類は見つからん」と電話していることが確認されている。

また早苗は、午前8時20分すぎには、隣家に住む親戚宅に顔を出し、「いまから行ってくる」と声をかけて出勤していた。しかし、彼女は現場の先にあるPバス停から利用するバスには乗車しておらず、自宅を出てからPバス停までの間に、犯行に遭遇したものだと推定された。

捜査本部では早苗の男関係についても、入念な捜査を行っている。彼女の勤務先の病院には医師の他に男性事務員が20人ほどおり、さらに入院中の男性患者は72人いたが、特に噂に上るようなことはなく、高校の同級生などにも、恋人や情交関係者はいないものと認められた。

「強姦すれば懲役何年か?」

こうしたなか、現場周辺の地取り捜査を行っていた捜査班が、興味深い情報を拾ってくる。同班は現場を中心とした各戸をすべて訪れ、次のことを聞いて回っていた。

○犯行時の頃、被害者に会った者はいないか

○同じ頃、現場を通行した者はいないか

○現場付近で不審者と会った者はいないか

当日の午前8時すぎ、現場の上方にある竹山に竹を切り出しに行ったという、炭坑の坑員である井本正二は、捜査員に語る。

「竹を10本くらい切って持ち帰るとき、(現場の上方40メートルにある)F三差路で、下から上ってきた顔見知りの鎌田と出会ったが、別に話はせず、私は上に行ったが、鎌田が私の後から上に来る様子はなかった」

ここで出てきたのが、鎌田康雄という32歳の坑夫であった。

ちょうどその頃、現場の上方では、川中幸子という主婦が畑仕事をしていた。しかし幸子は、「井本が通るのは見たが、鎌田は見ていない」と証言しており、井本の証言通り、鎌田は山道の上方には行っていないということが認められた。

捜査本部が鎌田の前歴を調べたところ、彼には強姦致傷の前科があり、さらに現場付近の土地鑑があることも判明したため、容疑性の高い人物として内偵を進めることになった。すると、鎌田は犯行翌日から、家を出たものの、それから3日を経ても帰宅していないことが明らかになる。

一方で、現場付近には4つの炭坑があり、坑員数が約1700人近くいたことから、そのなかで不良性の高い坑員についての聞き込み捜査も進められた。すると2人の坑員が、犯行当日の午後3時ごろに帰寮した際、同僚に対して「強姦すれば懲役何年くらい行くのだろうか」や、「女から足を咬まれた」などと話していたことが分かった。

その後、彼らは同僚の服を盗んで、同日午後5時ごろに寮から逃げ出し、行方不明になっているという。この2人についても、先の鎌田同様に、容疑性の高い人物として、捜査を進めることになった。

それに加え、別の炭坑で犯行当日以降、行方不明になった坑員が2人いることが分かり、捜査本部は計5人の行方を追うことになる。

捜査本部が最初に行方を探し当てたのは、強姦について同僚に話し、服を盗んで逃げていた2人だった。彼らが南西の近隣市町村に逃走している情報を得た捜査本部が、その地域で一斉捜索を行ったところ、潜伏先で発見し、身柄を拘束したのである。

しかし、この2人を取り調べたところ、アリバイが成立しており、容疑はシロであるとの結果だった。

5日くらい前から狙っていた

その後、鎌田が県内のS町で、自宅から持ち出したトランジスタラジオを入質している事実が判明。隣県のU町の旅館に、鎌田に似た人物が偽名を使って宿泊していたことが分かる。捜査員が同旅館の女中に鎌田の写真を見せたところ、極めて似ているとの証言が得られ、さらには早苗の所持品と見られる、女物腕時計を所持していたことも明らかになった。

鎌田が以前に強姦致傷事件を起こした際、犯行後は自宅付近の山中で野宿をしていたことから、その付近の山中を徹底的に捜索。山狩りを行ったが、行方の発見には至らない。

だがその3日後、鎌田の自宅付近で張り込み中の捜査員に、近隣の住民が、鎌田らしき男がT山の方向に歩いて行くのを見た、という情報が提供される。

そこで新たに、T山での捜索を行ったところ、同山の中腹で鎌田を発見。近くの派出所へ任意同行した。

すぐに捜査本部から駆け付けた捜査員が、鎌田への取り調べに当たるも、彼は犯行を否認。しかし、母や妻子が心配していると説き伏せたところ、「申し訳ありません。私が殺しました」と自供に転じたのだった。

その際に、早苗から強取した腕時計は、山中での職質の直前に遺棄したと告白したため、彼を同行させて現場を捜索。証言通りに腕時計が発見されたことで、緊急逮捕と相成っている。

「早苗さんのことは以前から知っていて、犯行の5日くらい前から、彼女の出勤時を狙って強姦しようと、機会を窺っていました…」

犯行を決心した鎌田は、出勤を装って家を出ると、山中に隠れて、早苗が通るのを待ち伏せたと語る。

「彼女が来たので、藪から飛び出して立ちふさがり、腕をつかんで茂みに連れ込もうとしました。そうしたら手を振りほどいて杉林のなかに逃げたので、20メートルほど追いかけて捕まえ、仰向けに引き倒しました」

悲鳴を上げて助けを求める早苗に、鎌田は「このままでは誰かに気付かれる」と殺意を抱く。そこで彼女の首を強く絞めたところ、ぐったりしたのだという。

「彼女の脚を広げてスカートをヘソの上までまくり、持っていたカミソリで、ズロースの前の部分を切って露にし、強姦しました」

鎌田はその後、死亡した早苗の顔にハンカチを被せて所持品を物色。現金や腕時計を奪ってから、しばらく息を殺して付近の様子を窺っていた。だが、「誰も気付いた様子がないため、再び姦淫しようと彼女の陰部付近に触れたが、冷たくなっていたので、それ以上は何もしなかった」と明かしている。

小野一光(おの・いっこう)
福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。『灼熱のイラク戦場日記』『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』など、著者多数。

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