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『自分を諦めない191針の勲章』著者:館山昌平~話題の1冊☆著者インタビュー

『自分を諦めない191針の勲章』著者:館山昌平/ワニブックス

『自分を諦めない191針の勲章』ワニブックス /1980円

館山昌平(たてやま・しょうへい)
1981年3月17日生まれ。神奈川県出身。2002年ヤクルトに入団し右のエースとして活躍。度重なるケガを乗り越え不死鳥のように復帰し「最多勝」「カムバック賞」を獲得した。22年、福島レッドホープスの投手チーフコーチに就任。

――過去には「最多勝」を獲得した館山さんですが、その野球人生は故障とリハビリ抜きに語ることはできないと思います。

館山 ケガを恐れて力を出し惜しみして通用するほどプロの世界は甘くありません。ヤクルトに入団して17年、自分なりに精いっぱい、この腕を振り続けてきました。その代償として、実に9回の手術を経験し、この身体に刻まれた手術痕は全部で191針あります。でも、その結果に後悔はありませんし、そうでもしなければ生き残ることができないのがプロの世界です。現役引退から2年以上の月日が流れた今、ようやく自分の過去を冷静に振り返ることができるようになり、出版の運びとなりました。

――「トミー・ジョン手術」という肘の手術を三度も受けたプロ野球選手は他にはいません。

館山 04年と13年と14年に手術を受け、そのたびにおよそ1年のリハビリを経て一軍のマウンドに復帰することができました。

「形を変えたドーピングではないのか?」

――館山さんが「不死鳥」と呼ばれるゆえんですね。

館山 ただそこに〝後ろめたさ〟のような感情がありました。というのも、「トミー・ジョン手術をすると、ボールが速くなる」という噂があるからなんです。実際に僕自身も速くなったし、他のピッチャーでもそういったケースはたびたび見られます。「これは、形を変えたドーピングではないのか?」――今となっては笑い話ですが、現役時代はこんな思いを胸に抱き続けていました。

――ケガとの戦いに加えて、深い葛藤があったと。

館山「ケガに敗れて引退はしたくない」という思いは特別に強かったです。口に出すと格好つけて聞こえるかもしれませんが、絶対に故障を理由に引退はしたくありませんでした。

適切な手術をして、正しいリハビリをすれば必ず復帰できる。僕にはそれを証明する義務と責任はあったと思います。

――引退後は楽天を経て、独立リーグでの投手チーフコーチを務めています。

館山 BCリーグ・福島レッドホープスというチームです。決して恵まれているとは言えない環境の下で汗を流し、泥にまみれ、「いつかNPB(日本プロ野球)入りをするんだ」と情熱を燃やしている若い選手たちを指導するのが今は楽しくて楽しくて。

彼らが目指すNPB入りを実現し、そこで活躍する選手を育成することが最大の目標ではありますが、後に振り返ったときに、「館山コーチに出会えてよかった」「新しい発見があった」と思ってもらえるような存在になれれば、と思っています。

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