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『プロレスラー 至近距離で撮り続けた50年』著者:山内猛~話題の1冊☆著者インタビュー

『プロレスラー 至近距離で撮り続けた50年』新潮社/1980円

山内猛
1955年2月23日、神奈川県鎌倉市出身。大学卒業後、写真専門学校を経て80年、内外タイムス社入社。編集局写真部記者(カメラマン)として、高校時代より撮り始めていたプロレスをメインに担当する。同社写真部長を経て、フリー。

――プロカメラマンとして数々の名シーンを撮影してきた山内さんですが、そもそもプロレスを撮ろうとしたきっかけは何だったのですか?

山内 中学生の頃に初めてプロレスを見に行って、その迫力に魅了されました。当時はまだカメラを持っていなかったのですが、そのうち「自分でも撮ってみたい」と思うようになり、コンパクトカメラで撮り始めたのが最初でしたね。

高校時代には羽田に来日する選手を撮りに行ったこともあります。当時は東スポに選手の情報が細かく出ていたので、必ずチェックしていましたね。

――内外タイムスに入社後は最初からプロレスを担当していたのですか?

山内 1980年に入社し巨人を担当しました。野球の試合のない時には、プロレス取材も行っていました。その後、84年にUWFが旗揚げしてからはプロレスを専門に撮るようになりました。

猪木とホーガンがきれいに収まった1枚

――技が決まる一瞬を捉えた迫力のショットで多くのプロレスファンを魅了しましたが、撮影のコツなどはあるのでしょうか?

山内 要は慣れですよ(笑)。何度も現場で撮影していれば、自ずと選手の動きを観察しますから、自然に身体が覚えるんですね。最も意識しなければならないのはレスラーの邪魔をしないこと。試合展開を見ながらレスラーの特徴や試合運びなどを頭に入れ、撮影していました。

技を決めても表情を作ってくれないレスラーは撮りづらかったですね。その点、アントニオ猪木は何をやっても絵になりましたね。

――猪木はどんな選手だったのですか?

山内 80年代のプロレスは猪木が仕切っていましたからね。マスコミも猪木を中心に動いていました。当時は試合前に控え室に入り、話を聞くことができたんですよ。猪木はなんでもオープンに話してくれて、とにかく気さくでしたね。

――山内さんのカメラマン人生で一番のショットはなんですか?

山内 83年6月2日の第1回IWGP優勝戦『ハルク・ホーガンVSアントニオ猪木』戦ですね。誰もが猪木の勝利を確信する中、ホーガンのアックスボンバーがさく裂した衝撃のKO劇でした。ホーガンと猪木、両者の表情がきれいに1枚に収まっているのは、私が撮影したカット以外にはないと思います。

また、猪木が舌を出して失神する後方で、ホーガンが歓喜のジャンプをしているカットは、勝者と敗者の表情が対照的に収められており、この2枚が最高のショットだと思っています。

(聞き手/程原ケン)

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