音楽ユニット「ZARD」のボーカル・坂井泉水さんが亡くなったのは2007年5月27日午後3時10分のこと。死因は「転落」による脳挫傷で、享年40という若さだった。
「前日の午前5時40分ごろ、がんの治療のために入院していた東京・新宿区の慶應大学病院1号棟にある非常用らせん階段のスロープから転落。駐車場のコンクリートで後頭部を強打し、あおむけに倒れているところを通行人に発見されたんです。06年に子宮頸がんを発症し、闘病生活を続けていた坂井さんは、転落死の2カ月前の検査で肺への転移が見つかっていました」(芸能記者)
神奈川県生まれの坂井さんは、県内の短大卒業後、都内の会社で働いていたOL時代にスカウトされて芸能界入り。当初は本名の「蒲池幸子」として、岡本夏生とともに「日清カップヌードルレーシングチーム」のレースクイーンを務め、写真集も出版するなど、モデル活動を行っていた。
「モデル時代は今ひとつ知名度を上げられませんでしたが、91年に坂井さんが作詞とボーカルを担当し、他のメンバーは固定しないという異色の音楽ユニット『ZARD』として歌手に転向。またたく間にブレイクし、ミリオンヒットを連発しました」(同・記者)
病室に脱ぎ捨てられたパジャマ
93年に『負けないで』が約164万枚を売り上げ、翌年にはセンバツ高校野球の入場行進曲に選ばれ、音楽の教科書にも採用された。
「メディア露出を極端に避ける手法で売り出し、神秘性を高めた。年齢も亡くなるまで非公表。単独ライブは生涯2回だけで、テレビ出演も数えるほどしかなかったため、〝坂井泉水は実在しない〟という噂まで立ったほどでした」(音楽関係者)
〝最期の瞬間〟も謎に包まれたままだ。坂井さんが転落した現場は、高さ3メートルしかない。病院は5階建てで、自殺とするには不可解な高さだった。
「所属事務所は、『日課だった散歩を終えて病室に戻る途中、前日の雨の影響で足を滑らせた』と説明していましたが、1.2メートルの手すりには乗り越えた跡があったんです。遺書も身辺整理の跡もなく、病室のベッドには脱ぎ捨てられたパジャマがあった」(同・関係者)
子宮の全摘出手術を受け、肺がんも放射線や抗がん剤治療で確実に縮小。同年10月に発売予定だった新作アルバムの写真撮影も進められ、復帰後の全国ツアーにも意欲を見せていたという。
「所轄の警視庁四谷署は、事故と自殺の両面で捜査したそうですが、『やはり自殺は考えにくい』というのが現在の有力な見方になっています。後頭部を強打し、あおむけに倒れていたことから、散歩を終えて非常階段の手すりに腰掛けていたところでバランスを崩して転落したというのが〝死の真相〟なんじゃないでしょうか」(前出・芸能記者)
坂井さんは病いに〝負けないで〟最期を迎えたと信じたい。
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