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小林幸子…“清潔”で売り“カマトト”が通用する幸せな女【週刊実話お宝記事発掘】

小林幸子
小林幸子 (C)週刊実話Web

今も昔もNHK紅白歌合戦に出場することは歌手にとって最大のステータスだ。そんな「紅白歌手」たちも生身の人間。華やかなステージの裏側に隠されたドロドロのスキャンダルを当時の『週刊実話』は暴いていた!

●昭和56年12月17日号掲載『紅白スター 男ぐせ女ぐせ』(2)年齢・肩書等は当時のまま

清純演歌のアイドルといわれ、色気とは全く無関係のようにみられているのが小林幸子だ。作曲家の吉田進も、こういった。

「彼女の表現は、全体にとてもナイーブで、清潔な印象を受けますね。発音が粘らず、あっさりしているし、ビブラートも泥臭く揺らさない。都会のOLのようにクリアな発音なのに、ハッとさせられるところが随所にあります。『津軽海峡冬景色』を、石川さゆりの熱唱と比べてみれば分かることだが、フィーリングそのものが淡泊すぎるためなんでしょうね。でも、それが逆に聴けば聴くほど味が出る、極上の酒に似た効果をもたらし、ウケたんですよ」

しかし、地味でナイーブな幸子の個性にファンが振り向いてくれなければどうにもならないということから、編曲者が強烈なサウンドでアクセントをつけたのが『おもいで酒』で、それをうたうときは白のドレスを着せる仕掛けも考えたようだ、ともいった。

専門家だけに、分析はなかなか細かい。だが、コーラが嫌われてキリンレモンが飲まれ、宝焼酎『純』もヒット商品となる、いわゆる白色革命は世界的となっていて、アメリカでもバーボンをウオッカが超す売れゆきを示していた。清潔、淡泊、そして白の幸子がタイミングよくそこに登場、歌もなかなかうまいということからウケた、との見方が一方にあることも無視できない。

初戦のつまずきが響く

昭和二十八年十二月の新潟市横七番町生まれで、28歳だ。

『おもいで酒』で再デビューを飾ったのは、まだ誕生日を迎える前だったから24歳のときである。しかも、ワーナー・パイオニアや所属事務所の第一プロが、清潔イメージを強調するのに全力をそそいだこともあって、芸能ジャーナリストのほとんどは、幸子をまだ生娘とみて疑わなかった。事実、幸子の身のこなしもそれだった。

加えて、幸子はいつも心から感動してうたい、泣いた。芸能ジャーナリストは、そういうのに概して弱い。あまりにも長かった不遇に耐え、はいあがってきたことに対する同情があっただけに、それはなおさらだ。

チータの愛称で知られる水前寺清子とは、コロムビアの全国歌謡コンクールばかりか、TBSの『歌まね読本』でも覇をきそった仲だが、いずれにも勝った。わずか9歳のときで当然、天才少女視される。三十九年六月には、コロムビアから『うそつき鴎』を出し、デビューする。チータは、それより四カ月遅れて『涙を抱いた渡り鳥』をうたい、クラウンからデビューした。19歳のときだった。

運命は、チータに味方した、といったほうがおもしろいが、実際は選曲の読みの差が、その後のふたりの明暗をはっきりと浮き彫りにしたにすぎない。『うそつき鴎』は全く売れなかった。反対に『涙を抱いた渡り鳥』は大ヒットする。おかげで、チータはスター街道をひた走ることができた。石立鉄男、石坂浩二らまで、尻を追いかけるほどモテた。

ところが、初戦のつまずきは挽回不可能となり、幸子はテレビドラマの脇役を二、三つとめたあと、地方のキャバレーまわりに“転落”させられる。

そんなとき幸子は裸身をカメラの前にさらし、それを男性誌のグラビアページに掲載された。幸子がヌードになっていたことを知った芸能ジャーナリストは誰もが、がく然とした。しかし、騒ぎ立てた者も少なかった。ごくわずかに限られていた、といったほうが当たっている。

「ヌード写真を取り寄せてみましたよ。売ろうとする女の“熱気”が満ちあふれていましたね。途端に哀れさが芽生えて…。選曲に間違えなければ、いまごろ大スターだったはずなのに、必死に泣き顔でうたっているステージでの幸子の姿もちらつきました。それで騒ぎ立てるのをやめたんです」

ひとり歩きはできない

こういった芸能ジャーナリストは二、三にとどまらなかった。イメージダウンにならず、幸子は救われる。だが、それを境に冷静に見つめられる立場に変わる。かくて、ポツポツながら男性関係がささやかれる。でも、それも初めのうちはスターになったがための〝有名税〟の領域を越えたものではなかった。プロダクションが、全力投球でその露出をフォローしていたから、とみられてもいる。

「はいあがるのに十七年もかけただけに、確かに遊ぶにも、ポッと出てスターになったのとは違い、誤解を招くホテルなんか使いませんよ。目撃したわけでないので、はっきりしたことはいえないけど、待ち合わせた場所で相手の車にソッと乗り、郊外へ行っていたようですね。しかし、それすらも『どうもそうらしい』とウワサされると、血相変えて取り巻きがとんできますからね。大変なガードです。歌はうまいが特徴がなく、そのないところをイメージとのダブリで売り物にしているだけに、なおさらなんでしょうが、あれじゃひとり歩きはいつになってもできませんよ。もういい年なのに…」

日本テレビの音楽プロデューサーは、こういって苦笑した。チータほど大がかりではないが、すでに歌謡教室を発足させ、かなりの生徒をかかえ収入を得ている。とあれば、遊びの域を出ていないとはいえ、チータと同様、その相手はやはり実業家なのだろうか。プロデューサーにきく。幸子についてはかなり詳しいとみえ、はっきりといった。

「確かにそういうのもいるし、歌の関係者…作曲家や編曲者もいますね。それに、われわれの同業者。幸子は、みかけと違ってすぐ寂しくなるたちらしく、しかも誘われたらこばまないほうだってきいてます。全てとはいわないまでも、歌手ってのは大半がそうなんですね。それでまた歌に艶も出てくるんですから、決しておろそかにできない。ぼくなんか誘うことはしませんが、同業者で遠慮ないのがいましてねえ。知る限りでは、TBSの関係者がせっせとつき合ってるらしいですよ。しかし、同じ歌手で親しいのがいるかどうかについては、あまり関心がないだけに知らないですね」

もはや清潔イメージもくつがえらない

この情報をもとにTBSへ出かけ、個々に当たったが、具体的な名前はきき出せなかった。だが、森進一や五木ひろし、内山田洋とクールファイブのひとりなどが必ずかつては幸子と付き合っていたはず、と教えてくれたのがいた。同僚かばいから、思いつきでいっているのじゃないか、その疑問も浴びせた。でもこういわれてしまった。

「まあ、そんな関係は歌謡界にあってはなんら珍しくはなく、とくにとりたてていうほどのものじゃないんですがね」

確かにその通りだ。だが、幸子の清潔、淡泊、白のイメージは、これで完全にステージに限ったことだけとはっきりした。

「どうりで、といっちゃなんだが、肌が異常といえるくらい荒れていたことがありましたよね。幸子は、疲れがひどくて…などといってたけど、遊びが限度をこえれば疲れるのも当然ですよ。でも、幸子ってトクな女ですね。そんな遊びが一部には分かっていても、外部のわれわれにはもれなかった。それも同情なんだろうし…。もういまさら知れたってスターの座は揺るがないだろうしね。清潔イメージをくつがえすことにもならないと思いますよ」

こういって舌打ちしていたのは、今度のレコード大賞の審査員になっている若い芸能ジャーナリストだ。彼からこんな報告が後日寄せられた。

「TBSのスタジオで幸子と会ったのを幸いに、かなりご発展のようだねとひやかしたんです。そしたら『あら、いやだぁ!』の一言なんですよ。肯定したことなんですかね」

これがその報告内容だ。肯定とか否定にかかわらず、そういえるあたり、遊びが豊富な証拠といえる。

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