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島倉千代子…細木数子さんと“2人3脚の抉別”の陰で【週刊実話お宝記事発掘】

島倉千代子
島倉千代子 (C)週刊実話Web

今も昔もNHK紅白歌合戦に出場することは歌手にとって最大のステータスだ。そんな「紅白歌手」たちも生身の人間。華やかなステージの裏側に隠されたドロドロのスキャンダルを当時の『週刊実話』は暴いていた!

●昭和56年12月17日号掲載『紅白スター 男ぐせ女ぐせ』(1)年齢・肩書等は当時のまま

島倉千代子は、美空ひばりが出演辞退を申し出てからの、年末恒例『紅白歌合戦』のいわば主のような存在だった。二十五回、フランク永井とともに最多出場である。

だが、一時は出場があやぶまれる声もあったくらいだ。全くといっていいくらいヒット曲に恵まれないからだ。

昨年も出場はしたが、かつてのヒット曲をうたい、その場をつくろっている。このため、現にこういい切る音楽番組のプロデューサーも、少なくない。

「もう引っ込めたほうが、島倉に対する愛情というものじゃないかな。かつてのヒット曲をうたわせるなんて、落ち目を知らせているようで、あまりにも残酷だ。『紅白』に出たからといって、もはや興行ギャラが上がるとかのプラスもないんだし…」

確かに、この数年は日だて三百万円を行ったり来たりでほとんど変わっていない。ある大手の芸能社の社長はいった。

「演歌の場合、昔は新人を前唄に使ったり、歌手が着がえをしたり、ノドを休ませるために十分くらい休憩をとっている間に奇術を入れたりすることが多く、それだけ余裕もあったわけだが、最近はそれもできなくなってね。五木ひろしの公演なんかでも、せいぜい四人編成のバック・コーラスを使うほかは独演に近い舞台演出が普通になってしまって…。そうでもしないと、途端に赤字になって四苦八苦、仕方ないんですよ。島倉では日だて三百万円でも苦しい。どう宣伝したって、一杯にはならないので…」

〝恋人〟の手形乱発事件に対するファンの同情があったからこそ、寿命は長びいたものの、もうとっくに消えていい歌手だった、ともこの社長は遠慮なくつけ加えたのだ。

〝恋人〟とは、島倉のファンならずも知っているはずの眼科医のM氏をさす。いまからちょうど二十年前、公演でテープを目に受けた島倉を、手術したことで失明から救った大恩人といわれていた眼科医だ。

島倉は、このM氏のいいなりになった。三億円にのぼる手形の裏書きも買って出た。M氏は事業を拡大しすぎ、行き詰まる。倒産だ。当然、負債のとりたては島倉に及んだ。そういうことにはまるで知識のない島倉は、路頭に迷った。

「お千代にとって、まさに悪夢のような事件。救わなければ、お千代はダメになってしまう。歌手として、なんとしても再起させなくては…」

こんな思いで救いの手を差しのべたのが、東京・赤坂にクラブなどをもち、女実業家として知られる細木数子さんだ。事実、細木さんは島倉に自分の洋服や宝石まで与え、5LDKのマンションを引き取り、債権者への支払い交渉はもちろん、マネジャー兼後見人の役も買って出たほどだった。

前後して、M氏の診断が島倉を思いどおりにするための、島倉の医学的な無知につけ入ったまっ赤なウソということが、虎の門の日本専売公社東京病院での精密検査で発覚するなどがあって、一挙に同情票が島倉に集中したのだ。細木さんの美談は、それをさらにあおった。

興行はファンの同情で満員に…

それまで、一カ月にせいぜい三本から四本だった興行を約五倍にふやしても、いずれも満員になったことが、同情のすさまじさを裏づける。新宿コマ劇場のときには、ファンの長蛇の列が三まわりもしたほどだった。支配人は、公演の成功をよろこび、こういったほどだ。

「全盛時のひばりちゃんを思い出しますねえ。同情されていることは知っていたが、まさかこれほどのファンが集まるとは…。夢のようです」

だが、熱しやすく冷めやすいファンの特徴でもあろうが、お千代ブームは決して長続きしなかった。細木さんのやり方が中傷されたことにもよる。細木さんは必死になって、こう弁明し、その中傷に立ち向かった。

「私なんかが引き受けるには、お千代はあまりにも大スターすぎたんです。『細木はお千代の借金を引き受ける代わりに生涯彼女を食いものにするんじゃないか』と、ずいぶんマスコミにたたかれました。とんでもない。私はお千代の借金問題が片付きしだい、必ず独立させますよ。これは約束ですからね。もし、それを守らなかったら、私は、全ての信用を失ってしまいますし…」

でも、よからぬ噂は消えなかった。借金返済のかたがわりとして、島倉から白紙委任状を手にしたことも、よからぬ噂をエスカレートさせたのだ。

細木さんは後援会長を自認し、島倉も会うことをこばまなかったのだ。かくて、ふたりにとって親しい記者を活用しての「恩人と大喧嘩別れ」といった記事作成となる。しかし、その記事にはまるで喧嘩した形跡はない。見出しだけなのだ。島倉も、別れのことばをこういうのにとどめていた。

「話をきいてみると、最後に出るのは、いつもおカネのことです。何百万円給料が欲しいとか、売り上げの何パーセントをよこせという要求ばかりなんです。

もし、その要求をそのまま受け入れていたら、肝心の私の歌手活動にかけるおカネがなくなります。それどころか、へたをすればまたまた借金を背負わなくてはなりません。私のわがままでしょうけど、借金を完済できるまでママの家に置いていただいて、まずきれいなからだになりたいんです」

本来的には、別れのことばにはなっていない。さらに、こんなことをつけたしたのだ。

「確かに、私がママの家に同居していると、ママのプライバシーはなくなります。それはよくわかっています。ですから借金がなくなったら、私は私で部屋を借りて、私生活ではママと別れます。でも、仕事のうえでは、死ぬまでママに面倒をみてもらいたいの」

でも、島倉は細木さんのミュージック・オフィスからコロムビア芸能へ移籍する。芸能ジャーナリストの多くは、それをこうみた。

「三年八カ月にわたる根の深い女の〝闘い〟が移籍という形になって露出したにすぎないんです。これまで、大スターである島倉にとって、マネジャーは単なる使用人ぐらいの感覚だったのに、細木との出会いでその立場は完全に逆転し、それに耐えられなくなったとみていいんじゃないかな。同い年というライバル意識も無視できませんよ」

まるで、それを裏づけるように、島倉は親しい知人に、

「もうとっくに借金は完済しているのよ。その後、私は利用されているだけ」

と、不満を述べていたのも事実だった。

擬装訣別の駆け引き

しかし、移籍を実際に策したのは島倉でなく、コロムビア芸能だったことを絶対に忘れてはならない。隠れて、島倉がそれをコロムビア芸能にたのんだのではないか、とみられもするが、誰に当たっても認めやしない。コロムビア芸能の自発的な判断で、細木さんを説得し、移籍させる形式で引き取ったのだ。なぜなのだろう? こんな意見がきける。

「一時的には、美談としてもてはやされました。だが、やはり細木さんの周辺のことで加速度的にお千代のイメージが落ちたんです。うちの専属歌手として決して放置できることではないため、コロムビア芸能に移籍させようと…。それが最大のポイントです。細木さんは話のわかる方で、すぐに『お千代のためになることならば…』と応じてくれたんですね。もっとも、そうやったからといって個人的なつながりまで断つわけではないんだし…。あくまでも世間に対する処置ですよ」

おそらく、これが〝真相〟のはずだ。こうすれば、喧嘩するような仲でないのに、あたかも喧嘩したように言いふらす必要もなくなる。そして、裏では仲よくしていればいいのだ。

「〝二人三脚の訣別〟なんてマスコミには書かれていたけど、実際はどうなんですか。なぜなら先日、ホテルオークラで、ふたりが楽しそうに食事してましたものね。別れたあとで和解した雰囲気でもなかったですよ。訣別なんてなく、あいかわらずつながっているんでしょう、きっとそうですよね。島倉が地方へ出かけるときには、一方の細木とかいう女性が、しばしば、ついて行く、という話もきいてますし…」

こう知らせてくるファンは、いまも少なくないのだ。

TBSの音楽番組のプロデューサーはいった。

「依然としてマネジャーなのか、と錯覚させられる行為を、お千代のために細木さんがスタジオで示すことがありましてねえ。ええ、よくいっしょにスタジオにみえます。あくまでも、あのふたりは擬装訣別ですね。コロムビア芸能はそれに手を貸したようなものでしょう」

ところで、島倉が細木さんのマンションにいるとき、突然、無断で飛び出し、新宿の京王プラザホテルでひとり住まいを始めたことがあった。細木さんは、その島倉に下着など必需品をソッと届け、何もいわずにホテル代を支払っている。この行為こそ、まさに美談だった。

しかし、芸能ジャーナリストのほとんどは、

「移籍にまつわる、ふたりの〝暗闘〟。いや、駆け引きが表面化しただけにすぎないこと」

とくに細木さんに対する冷たい判断を下した。確かに、島倉にすれば同居していたくない事情があったからそうしたものであり、結果としては移籍につながる行為だった。でも、細木さんには訪ねてくる男性がいたし、島倉もソッと二人だけで会いたい男性がいたことを無視できないのだ。二人とも、また盛りの中年だったのである。

細木さんのほうはとにかく、島倉が細木さんのマンションを突然、無断で飛び出し京王プラザホテルでひとり住まいを始めてまで、どうしても会いたかった男性とは一体、誰だったのだろう。部屋の清掃を監督する従業員は、こう証言した。

「ふたりの男性が、しょっちゅう訪れていましたから、(そうきかれても)返事はできませんね。島倉さんからみて、ずっと年上の方と、いくらか若い、どこかでみたことのあるスターですよ。そう若いほうは、時代劇によく出ていますね」

島倉の側近の話によると…

いま島倉が出ているCMの会社の幹部と、俳優の林与一であることは、この証言からすぐに推察できた。林は、ひばりのかつての恋人だった。ひばりは自分のステージやテレビドラマで林を共演者に起用し、愛ある交際に発展させたのだ。島倉が林を知ったのも、同様の手段による。林のほうが4歳年下だ。

「ひばりと同じで島倉ほどのスターになると、年下のほうがなにかにつけていいですよ。いうことには従ってくれるしね。細木のマンションでは、うっ積していたところに美男子で、ひとをそらさないふんいきのある林が、前に現われたとすれば、やむを得ないでしょうね。『わがままそのものの振る舞いでまいったよ』と、林は親しい知人に打ち明けていたほどだから…。その味を知り、目覚めた限りは、戻れといわれたって戻りっこなかったわけですね」

コロムビア芸能で、常に島倉のそばにいる〝営業〟幹部の打ち明け話だけに、これは信じられる。でも、どうにも納得できない点がある。島倉は移籍し、細木さんと別れたあと細木さんに林を紹介しているというのだ。

「もうあなたとは関係ないんだし、どう振る舞おうと勝手でしょう」といった意見表示としてのようにも思えるし、同じ年齢のライバル意識を満足させるため、とみられなくともない。

いずれにせよ、その後も親しい仲でいるのかに興味が向けられる。それについて〝営業〟幹部にきく。彼は一言でいった。

「もう別れているでしょう。瞬間的に満たせれば、それでいいんでしょうし…」

あまりのあっけなさに驚く。島倉の素顔からみて、もっとねちっこいと想像していただけに裏切られた気持ちにもなる。

「しかし、それは仕方ないことですよ。三十八年に結婚した元阪神タイガースの藤本勝巳選手との離婚。あれは、彼の浮気が原因ですからね。ついで、ギャラをもち逃げされた実弟の裏切り。そして、信じ切っていた眼科医の背信でしょう。これをまとめていえば、もて遊ばれた女の悲しみですよ。だから満たしてくれる相手ならば、それでいいという女に変わってしまったんですね」

芸能ジャーナリストの、これは補足説明だが、そのあとで肝心のことをつけ加えた。

「CMに島倉を使っている会社の幹部とは例外的にあいかわらずのようですよ。老人だけにひどくかわいがってくれているためらしいが、しっかりした会社だけに、眼科医のような背信を心配する必要もないからかも知れませんね。島倉にすれば、二号のようなつもりでいればいいんだろうし…。

でも、そういうひとだけが相手にしてくれる歌手って寂しいだろうな、と思いますよ。先がみえているってわけでしょう。島倉は、それを象徴するようにもはや下り坂。だからこそ離れられないなんて見方もできるし…。新宿コマ劇場でのショーのときには、かなりその券を買い上げ、それを景品にしてくれているんだからね。しかし、そんなことにたよるなんて、落ち目とみる以外にないでしょうが…」

これでは、『紅白』の人選で問題になるのも当然だ。でも、似た大スターは島倉だけにとどまらない。水前寺清子にもヒット曲といえるものはない。男性に目を向けると菅原洋一、三波春夫、村田英雄に対しても同様のことが指摘できる。すでに、いずれも名前だけの大スターだ。彼らと比較すると、島倉はまだまし、との意見もある。

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