なにより清純さが求められた「昭和アイドル」たちに、当時の『週刊実話』記者が凸撃取材。赤面しながら答えてくれた初々しいトークをプレイバック!
●昭和56年12月17日号掲載『アイドル歌手6人の♂♀知識』(6)年齢・肩書等は当時のまま
ショッキング・ピンク地のタイツ姿で『ミスティー』を歌う桜田淳子に、ハッとする色気が出てきた。
「アメリカで男を知ったのか」と、首をかしげた男性が多かったが、
「ダメなの、向こうの男性は、男同士でしか興味がないという感じ。ニューヨークあたりは、本場といわれているでしょう。だから、わたしなんかには、目もくれないの。そんなわけで、浮いた話はぜんぜんなし」
ことし初め、ニューヨークへ一カ月旅行して帰ってきたときの弁だ。
“男っ気なし”といわれる彼女も、二十三歳。親友の岡崎友紀は、こう言う。
「淳子ちゃんのしっかりしていて、きちんとした性格は、昔から変わらないけど、ただずっと自然になって、融通性が出てきたわね。たとえば、いっしょに食事をしたり、お茶を飲んだりしても、ひとの目を気にしないで、自由にふるまっている。でも、赤坂のクラブ・コルドン・ブルーのショーをみてて、ヌードが出てきたら、びっくりしてるところなんか、まだまだ子どもね。生活のいろんな面で、彼女が、まだまだ、経験してない未知の面で、大人と子どもが交錯している時期なんでしょうね」
かつて、山口百恵、森昌子とともに“三人娘時代”に初めてヨーロッパへ行ったとき、スタッフが見ていたポルノ雑誌をチラッとのぞいて、あまりのいやらしさにのけぞったという。
「彼女は、ポルノなんて言葉を聞いただけでも、トリ肌が立つそうだ」
そんなところから「桜田淳子は、ポルノ・アレルギーだ」などといわれた。
いまだに、プラトニック・ラブにあこがれているとはいうものの、いつまでも“無菌状態”でいられるはずもない。
カマトトだといわれたくない
「ある晩、旅先の旅館でくつろいでいたら、スタッフのひとりが、テレビに百円玉を入れたんです。とたんに、ベッドシーンが映って淳子は卒倒しそうになった。でもカマトトだといわれたくないので、初めは見ないフリしていたけど、気がついたら、身を乗り出してみていたっていうんです。そりゃ、彼女も二十三歳で、体がうずくころ。なんでも知っているんでしょ」(芸能記者)
一緒に住んでいる彼女の姉は、「男性の好みのタイプが、洋服の好みみたいに、コロコロ変わる」という。そのあたりのところを本人はこう語る。
「一時、恋人がほしい時期があって、秋田時代の同級生とつき合ったりもしたんだけど、どうしても、相手が“桜田淳子”を意識しちゃって、フランクなつき合いができないのね。相手が真剣になってくると、こっちが“かんべんしてね”という感じになっちゃうの。それに、私は欲張りだから、こっちのひとが好きだと思うと。またタイプの違うひとが好きになったり…」
彼女は“処女性”にもこだわりがある。
「おヨメにいくまで大事にするものだと思っています。自分でする? アレは想像するだけでもイヤです。私、ベッドの中で思い悩んで眠れないなんてイヤだから、その前に、自分をクタクタにしておくの。婚前交渉とか同棲なんかも考えられないわね。私だって女だから、いつかは幸せな結婚をして、子どもを産みたいと思うわ。あせらずに、いい人見つけて、三十歳までにはね。そりゃ、恋人が欲しいわ。さりげなく燃えたいわ」
このごろ、ぐっと女っぽくなった。そうした声が高まりつつある。
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