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ヒデとロザンナ「ボクと一緒の屋根の下に住もうよ」【週刊実話お宝記事発掘】

ヒデとロザンナ
ヒデとロザンナ (C)週刊実話Web

現代ではSNSや公式HPなどでの報告が主流だが、昭和の芸能人の「結婚会見」や「披露宴」はド派手だった。スターの皆さまが本誌の取材に答えてくれた珠玉の“プロポーズ名言・珍言集”をプレイバック!

●昭和57年3月11日号掲載『プロポーズ名セリフ珍セリフ』(6)年齢・肩書等は当時のまま

三度目の正直で、昨年六月、三人目に女の子に恵まれたヒデとロザンナ。

「第一印象は“ザッツ・イタリアン”という感じで、すごくいい女に見えたんです。こうなると、ボクも男でしょ。ハンター根性がムクムクと頭をもたげて“いっちょうモノにしよう”と、さっそく、アタックしたんですよ」

ヒデとロザンナが出会ったのは、昭和四十二年の春、東京・赤坂のクラブ『月世界』。そのとき、ロザンナは十七歳で、彼女の周辺には、伯父さんなど“監視人”がいるうえに、プライベートな交際は、絶対禁止。アプローチには、かなり苦労したらしい。

「ここで、引き下がっては、日本男児の名がすたる、と思ったんです。彼女の誕生日が七月三日、この日、日本語をローマ字で書いてある詩集をプレゼントしたんです。この本を探すため、丸善はじめ洋書関係の本屋を片っぱしから歩いたんです。彼女は“キザっぽい男”と思っていたらしいんですが、この本が威力を発揮し、彼女の心が、ぐーっと、ボクに傾いてきたんです。こうなれば、しめたもの。あとは、押しの一手です」

キスを許してからは…

そのころ、ヒデは結婚なんて考えておらず、軽い気持ち。

「初めてのキスは、一年程たってから、東京近郊へドライブに出かけた時、車の中でした。彼女はガタガタ震えて、真剣な顔をしているんです。イタリア、ことに、彼女の育った北部地方は、日本より遥かに封建的。異性にキスを許すのは、結婚OKという意思表示なんです。ボクは、その時まで知らず、キスした後で、その意味がわかったんですよ」

ここから、攻守逆転し、こんどは、ロザンナのほうが、イタリア人らしい強引さと押しの一手で、逆に、ヒデに体当りのアタック。むしろ、ヒデのほうがタジタジで、ベッド・イン。

「ねえ、赤ちゃんができたらしいの。三カ月ですって」

と打ち明けられ、ヒデも、

「ボクと一緒の屋根の下に住もうよ」

というハメに。

「きたるべきものがきた、という感じでしたね。口説き文句といえば、あの本と、いきなりの車の中でのキスかなア。ベッドでのセリフ? うーん、それは彼女に聞いてよ。彼女の熱気に、つい、かなア。ミイラとりがミイラになったようなもんだ」

いまや、芸能界では、ユビ折りの愛妻家。しかも、ロザンナは、女の子を産むため、文献をあさったり、友だちから体験談を聞き、食事や排卵日など刻明に調べ、ヒデに迫った、と言う。

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