社会

『昭和猟奇事件大捜査線』第6回「妖艶な姿態に見惚れて魔が差した? 打ち捨てられた身重の若妻」~ノンフィクションライター・小野一光

(画像)RUSSO PHOTOGRAPHY / shutterstock

昭和40年代のとある夏の日、大阪府下の某市でのことだ。

早朝に牛乳の配達をしていた吉川早苗さん(仮名、以下同)は、M小学校の前に差し掛かったところで、ふと足を止めた。彼女が道路脇の側溝を見ているところに、夜勤帰りの工員である橋本雄二さんが通りかかった。

彼もすぐに早苗さんの視線の先にあるものに気付く。

2人が見たのは、等身大のマネキン人形だった。大輪の花模様のワンピースを着せられたその〝人形〟は、放り投げられたのか、うつぶせの状態で無造作に横たわっている。

そこで男性の橋本さんが手を伸ばし、水に浸かった〝人形〟に触れると、「あっ!」と小さな声を上げた。その手に伝わってきたのは、紛れもなく人肌の弾力だったのだ。

「人形やないで、これ。し、死体や」

2人は慌てて近くの派出所に飛び込むと、警察官にそのことを伝えた。

事件の可能性があるため、すぐに警察官の報告を受けた捜査員たちが駆け付け、現場保存が行われる。

死体の女性は生前の姿が保たれ、見たところ年齢は25~26歳。花柄ワンピースの下にはシュミーズを身に付けており、純白のさらしが巻かれた腹部の膨らみから、妊娠7~8カ月の妊婦であることが分かった。

色白の端正な顔立ちで、顔や頭には打撲擦過傷があったが、左頸部に刺創痕があり、刃物を使った事件であるとの見立てがなされた。

側溝内の死体の近くには、バンドが切れた男物の腕時計が落ちていた。さらに、少し離れたフェンスの有刺鉄線には、切手大の濃紺服地が引っかかっており、その先の田んぼのあぜ道には、40数個の足痕が点々と残っている。

すぐにH署に捜査本部が設置され、死体はその日のうちに解剖された。

すると、死因は溺水吸引による窒息死であることが判明した。死亡推定時刻は、遺体発見の約1時間半前である午前4時頃ということだった。また、膣内に精液はなく、子宮内には妊娠7カ月の終わりから8カ月目の男児を宿していた。

遺体発見の夜に不審な電話

被害者の身元を示すものはなかったが、現場周辺を刑事が聞き込みにまわったところ、その日の昼のうちに、現場から約200メートル離れた文化住宅に住む、矢崎智恵子さんという26歳の主婦であることが判明した。

智恵子さんの夫である矢崎正樹さん(26)は、長距離トラックの運転手で、関東方面に向かっている最中だった。そのため、妻の悲報については、遠く離れた目的地に到着してから知ることになる。

その夜、智恵子さんの通夜がしめやかに行われ、慌てて戻ってきた正樹さんは、智恵子さんの遺体にすがりついて号泣した。

一方、捜査本部では、身重の若妻が夫の出張中に、早朝に外出して殺害されたという状況から、犯人は被害者と面識のある者、もしくは面識はなくても内情に精通した者が口実をもうけて誘い出し、凶行に及んだのではないかと見ていた。

そのため、以下の捜査方針が立てられる。

〇現場付近の聞き込み、足取り捜査
〇親族、友人の内偵及び取り調べ
〇勤め先の現・退職者の内偵及び取り調べ
〇被害者方出入り商人の割り出し内偵捜査
〇遺留された背広布地の捜査
〇遺留された腕時計の捜査

これらを割り当てられた捜査員が各地に散らばるなか、夫である正樹さんの勤め先である「××運送」の捜査に当たっていた捜査員が、遺体発見の夜に、不審な電話があったとの聞き込み結果を持ち帰った。

「その日の夜、押しつぶしたような男の声で『ヤサキさん、いますか』と電話があり、出張に出ていることを伝えると、帰ってくる日を尋ね、こちらが相手の名を聞くと『友達です』とだけ言って切られたんです」

正樹さんの姓の「矢崎」は、「ヤザキ」ではなく「ヤサキ」と読み、知らない人間だと「ヤザキ」と言うことが多い。それを正確に知っており、帰阪時期を尋ねるなど不審な点があることから、電話の男の捜査に専従する班が作られた。

また、遺留品の捜査をする班は、有刺鉄線に引っかかっていた布地について、生地の製造元については突き止めたが、販売ルートまでは解明できなかった。しかし、現場に残された腕時計について、C社製のもので、もともとは黒色のレザーバンドが付けられていたがメッキの女物バンドに付け替えられたもの、との報告を上げている。

偶然は重なるが決定的なものがない…

そんななか、正樹さんが勤める運送会社の同僚と、退職者について捜査をしていた捜査員が、1人の男に目をとめた。それは、津村健司という21歳の男で、同社で配車係として8カ月間勤めたものの事件の2カ月前に、給料が安いといって退社していた。

津村が正樹さんと親しかったとの証言があり、そのことに捜査員は引っかかりを感じたのである。

事件発生から9日後、捜査本部は津村に対し、彼の自宅から近いJ警察署に任意出頭を求めた。捜査員による事情聴取に対して、津村は悪びれずに答える。

「いま、昼間は、パチンコをしたりしてブラブラしています。夜は、春頃から付き合っている田村紀子(23)の家に泊まったりすることもあります」

事件前夜の行動については、午後6時頃に紀子さんの家に行き、彼女の女友達が来ていたので、11時頃にそこを出たのだと語った。

「家に帰ろうとしよったら、2人連れの男に呼び止められ、カネを貸してくれと脅されました。断ると、いきなり殴られて蹴られ、腕時計と現金千円を盗られたんです。そんとき貨物線の空き地にあった有刺鉄線で、ひっかき傷や腰にケガをしましたが、警察には届けんと、11時半頃には家に帰って寝ました」

詳しく話を聞くと、盗られた腕時計は昨年購入したC社製のもので、詳しい特徴は覚えていないという。また、その時計のバンドは、1カ月前に紀子さんが女友達から貰ったものに付け替えており、女物だと説明する。津村は言う。

「矢崎さんの奥さんのことでっか? 新聞はよく読むけど、いま聞いて初めて知りましたわ。もちろん、矢崎さんの家に行ったことはありません」

有刺鉄線といい、時計のことといい、偶然とはいえ、あまりにも一致している。しかし、足跡の採取や衣類の調査をしても、事件に結び付く決定的なものはないため、その日は津村を帰宅させたのだった。

「津村について、徹底的に裏付け捜査だ」

捜査幹部は指示を出す。

残された指紋が一致

やがて、津村が矢崎家に行ったことがあり、供述が嘘だったことや、彼が購入した時計が遺留品と同型であること、時計のバンドが同じ種類のものであることなどが判明する。

とはいえ、〝彼以外に犯人はいない〟のだが、〝彼であるとの決め手はない〟という状況であり、時間だけがいたずらに過ぎていく。

そうしたなか、津村はタンカーの乗組員の仕事に就き、中東へと旅立った。

「今度、奴が日本に帰るまでに身辺を捜査しろ」

その方針で、津村の元勤め先を当たっていた捜査員が、ある情報をつかんだ。それは次の証言だった。

「津村は他人の運転免許証に自分の写真を貼って持ってまっせ。あれは盗んだもんと違うやろか」

その免許証を見た人物は、本籍地が鹿児島県と書かれていたのを記憶していた。そこで捜査員は、津村の周辺で鹿児島県出身者を探す。

津村に免許証を盗まれた疑いのある人物は、すぐに特定された。前の職場の同僚の竪山郁夫さん(21)だ。

竪山さんは憤慨して語る。

「昨年5月に現金2万円と一緒に盗まれたんやけど、それでえらい目に遭うたんです。H署の刑事さんに強盗犯人の疑いをかけられまして…」

なんでも、この年の2月にH署管内で老女がナイフを突きつけられ、現金6万円と郵便通帳を奪われた強盗事件の、犯人ではないかと疑われたのだという。

H署によれば、老女の郵便貯金を下ろしに来た男が、名義人と違うので身分証明書の提示を求めたところ、男が出したのが竪山さんの免許証だったとのこと。

同時に、質屋回りをしていた捜査員が、竪山さんの免許証を使って質入れをした人物がいたことを知る。そこに残された指紋が津村の指紋と一致したため、竪山さんの免許証を持っているのは津村だと断定した。

さらに、郵便局での書類の筆跡、強盗事件現場での足跡が津村のものであることを確認。まずは老女に対する強盗容疑での、津村の逮捕状が発布されたのである。それは智恵子さんの遺体が発見されてから、2カ月半後のことだった。

逮捕状発布の5日後、津村の乗ったタンカーが日本に帰ってきた。沖合に停泊する船体に検疫官とともに乗り込んだ捜査員は、船内会議室で検疫を待つ津村の前に逮捕状を示す。

「え、えっ? 知りません」

とぼけた津村だったが、H署での取り調べでは観念し、老女への強盗だけでなく、智恵子さん強盗殺人の容疑も認めたのである。カネ目当ての、単純な理由での残酷な犯行だった。

小野一光(おの・いっこう)福岡県北九州市出身。雑誌編集者、雑誌記者を経てフリーに。『灼熱のイラク戦場日記』『殺人犯との対話』『震災風俗嬢』『新版 家族喰い――尼崎連続変死事件の真相』など、著者多数。

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