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荻野目洋子“整形”で悩んだ過去を告白!「病院まで行って…」

荻野目洋子
荻野目洋子 (C)週刊実話Web

歌手の荻野目洋子が、3月23日に放送された『大竹まこと ゴールデンラジオ!』(文化放送)にゲスト出演。過去に「整形手術を考えた」と告白し、共演者を驚かせた。

荻野目は、音楽好きの父の影響で、幼い頃から子ども向けの音楽番組などに出演。

小学生時代にスカウトされ、キッズ・アイドルグループの一員としてレコードデビューを果たした。

高校1年生のときに『未来航海―Sailing―』でソロデビュー。当時はアイドル全盛期で、自身の周りには「可愛い人しかいなくて」と振り返り、「私は化粧とかもしたことなくて、美容意識が低い。中学生から歌のレッスンだけをしてきて、デビューできて、歌だけを考えていたので、わたし整形したほうがいいんじゃないかって。病院の手前まで行ったことがあって」と打ち明けたのだ。

手術を受けるかどうか真剣に悩んだというが、「今のようにプチ整形とかって気軽にできる時代でもなかったし、その手前で〝やっぱり怖いからやめよう〟って」と断念したという。

その後、1980年代にヒット曲を連発し、歌って踊れるアイドルの先駆者になった荻野目。プライベートでは、堀越学園の同級生で、元プロテニスプレーヤーの解説者・辻野隆三氏と2001年に結婚。19歳、18歳、15歳の3人の娘に恵まれ、一時は仕事をセーブしていた。

『ダンシング・ヒーロー』で再ブレイク

ラジオの翌日には『徹子の部屋』(テレビ朝日系)にも出演。アイドル時代の代表曲『ダンシング・ヒーロー』がリバイバルヒットしたときの心境も明かしている。

自宅のキッチンで料理をしている時に、女性芸人の平野ノラが出囃子で使っていた自身の歌が流れ、「なんで、この曲が」と驚いたという。

17年には大阪府立登美丘高校のダンス部が、バブル時代をほうふつさせる衣装で同曲にあわせて踊り、部員たちと一緒にNHK紅白歌合戦にも呼ばれるなど、再ブレイクを果たした。

育児に専念していた期間は子守歌しか歌わず、家で自分の楽曲をかけたこともなかったため、娘たちは母親が歌手だという実感がなかったそうだが、同局の『ミュージックステーション』に呼ばれた際に「ユーチューバーの方も一緒に共演されていたので、『えっ、HIKAKINさんとマミー、一緒なの?』みたいな感じで、すごい驚いてましたね」と照れ笑いを浮かべていた。

結局、整形しなかった荻野目は、53歳になった現在も美貌を保っている。若い頃に整形した芸能人は、加齢とともに「不自然さ」が隠せなくなるが、荻野目は思いとどまって正解だったと言えそうだ。

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