日本のエロス文化に確固たる足跡を残してきたピンク映画。中でも〝脇毛女優〟として一時代を築いた内田高子を忘れてはならないだろう。
もともとは歌手で21歳のときに『粋なネグリジェ』(1963年、東芝レコード)でデビュー。しかし、歌詞が過激とされて放送禁止となり、ヒットには至らなかった。その後はもっぱらキャバレーを中心に歌手活動を続けた。
ある日、内田に映画の仕事が舞い込んできた。彼女に目を付けた新藤孝衛監督から、出演依頼を受けたのだ。女優業に憧れていた彼女は喜んで出ることにする。それがピンク映画(題名は『セクシー東京64』)だとはまったく知らずに…。
出演してみるとスタッフの映画作りへの熱気に打たれ、すっかりハマってしまう。何本か出ているうちに、男好きする容貌と肢体から〝日本のソフィア・ローレン〟と呼ばれるようになった。
内田の人気は絶大で、舞台あいさつに行くと、どの劇場でも熱心なファンから、「タカちゃ~ん」という声が掛けられた。65年に主演した『肉』で、生涯のパートナーとなる向井寛監督と運命的な出会いを果たすことになる。彼女にとって一番大切な作品だ。
セールスポイントの大事な“毛”
『肉』は学生と主婦、娼婦の3役を演じたオムニバス作品で、後ろ向きながらフルオープンにもなってみせた。当時、取材で撮影現場を訪れていた映画記者の村井実氏によると、彼女はホテルの一室で黒いアンダーウエアを脱いで手で押さえていたそうだ。
そして、腕を上げると脇の下に黒々とした毛が現れた。それを見て、ゴクリと生唾を飲んでしまったという。これ以降、脇毛がセールスポイントとなっていく。
向井監督から「キミの売り物は脇毛なのだから剃るんじゃないぞ」と言われ、それを実行していた。ただ、夏場はノースリーブの両脇から黒い毛がはみ出し、男性の視線が気になって仕方がなかったそうだ。
向井監督と内田はこの後もコンビを組み続け、20本余りの作品を撮っている。その間、2人は深い仲となり、やがて子どもができて結婚した。
内田は72年に引退するが、それまでの女優業について「未知の分野を開拓した」と語っている。
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