ピンク映画は、1962年春に封切られた大蔵映画『肉体の市場』でスタートして以来、日本のエロス文化に確固たる足跡を残してきた。
特に目覚ましかったのが60~70年代。業界は活況を呈して、時代を彩る女優や名監督を輩出した。その往時をしのびながら、銀幕エロスの神髄に迫っていきたい。
ピンク映画は女優のフルオープンが映画を支え、見るものを引き寄せる。女優がすべてといっても過言ではない。とは言いながら、当初はバストを見せるのはご法度だった。もちろん、濡れ場も腰をカラめているようなものは撮れなかった。
封切られてすぐに警視庁から摘発された『肉体の市場』にしても、今から見るとビックリするくらいおとなしいものだ。その摘発が大きな話題となって、作品(再編集版)は大ヒット。主演した当時24歳の香取環も、一躍脚光を浴びた。
香取はこれによってピンク映画女優の第1号となったが、もともとは日活ニューフェース出身で、本来なら青春スターとしての道を歩むはずだった。
しかし、胸を膨らませて映画デビューはしたものの、端役ばかりで一向に芽が出ない。そうした中、六本木族の乱行に迫った『肉体の市場』の主役が持ち込まれ、出演することになる。
約600本もの作品に出演
ドラマがしっかりしていたことが、出演する大きな理由となったが、2万円という破格の出演料も見逃せない。当時のギャラは1本5000円ほどで、家賃を払うとほとんどお金が残らなかったのだ。
〝火の国〟熊本出身で身長165センチ、B98・W62・H98という色白のグラマー。そういうこともあってモテモテとなり、主演作が相次いだ。72年に引退するまで、約600本の作品に出演し、ピンク映画界にトップ女優として君臨した。
残念ながら香取は7年前に76歳で亡くなってしまったが、その魅惑的な姿は残された作品から知ることができる。
「準ミス・ユニバースに選ばれただけあって、体からオーラが漂っていたよね。それに撮影所育ちだから、演技もしっかりしていた。ピンク映画の場合、女優の寿命はだいたい3~4年ぐらいなんだけど、10年間にわたって第一線で活躍したのだから大したものだ」(映画関係者)
ちなみに〝ロマンポルノの女王〟と呼ばれた白川和子は、ピンク映画時代に香取のお付きをしていたことがある。化粧や衣装の選び方などを彼女から教わっていたそうだ。ピンク映画の遺伝子は受け継がれていったということか。
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