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六代目山口組“重要外交”の裏側――分裂終結へ全国の組織が訪問

(C)週刊実話Web

12月1日、JR静岡駅にスーツ姿の集団が続々と降り立った。六代目山口組(司忍組長)への、親戚・友好団体による年末の挨拶訪問が始まったのだ。

親戚団体の中でも「特別な関係」にある稲川会(内堀和也会長=東京)が、今年もトップバッターで到着。内堀会長を筆頭に貞方留義理事長ら最高幹部が姿を見せ、六代目山口組からも兄弟分である竹内照明若頭補佐(三代目弘道会会長=愛知)らが駅で出迎えた。

昨年末に続き、今年も六代目清水一家(高木康男総長=静岡)本部が会場となり、すでに司六代目と髙山清司若頭も姿を見せていた。

「神戸山口組(井上邦雄組長)との特定抗争指定で、警戒区域内での組員5人以上の集結は禁止されとるから、区域外で挨拶を受けるようになったんや。新型コロナの感染者数も減少傾向にあるから、昨年とは打って変わって人数も多く壮観やったで」(ベテラン記者)

さまざまな〝制約〟がありながらも、六代目山口組が各団体からの挨拶を欠かすことなく受け入れてきた背景には、山口組の分裂問題も関係しているという。

「分裂の直後、各親戚・友好団体が総本部に駆け付けとった。稲川会の内堀会長に至っては、団体での訪問に先駆けて竹内若頭補佐のもとを単身で極秘訪問したんや。山口組の非常事態を案じたのと同時に、六代目山口組への支持を表明する意味合いもあったと思うで。それは他の団体も同じ気持ちで、分裂下での夏と年末の挨拶訪問には、一日でも早くヤクザ業界の平穏を取り戻したい、いう願いも込められとるはずや」(同)

警察当局すら耳を疑った日本最大組織・山口組の分裂は、ヤクザ業界に大きな衝撃を与えた。親戚・友好団体が六代目寄り、神戸寄りに分かれたため、他団体間でも混乱が生じたのだ。

しかし、挨拶訪問を受ける六代目側に動揺は見られず、より他団体との親交を深めてきたといえる。

今年の年末挨拶においても、稲川会に続いて松葉会・伊藤芳将会長(東京)らが姿を見せた。藤井英治若頭補佐(五代目國粹会会長=東京)らの案内で清水一家へと向かい、その後に双愛会・椎塚宣会長(千葉)と東声会・早野泰会長(東京)も、それぞれ最高幹部を引き連れて到着。いずれも滞在は20分程度だったが、司六代目との結束を確認するには十分な時間といえた。

印象的だった距離の近さ

清水一家では六代目山口組の執行部メンバーや「幹部」も出迎え、弘道会の野内正博若頭ら最高幹部が警備や車両の誘導を担った。

「弘道会は司六代目と髙山若頭の出身母体であり、神戸山口組との抗争でも複数のヒットマンを出しとる。その弘道会の最高幹部たちが警備に当たるいうことは、警戒を強めとる証拠や」(同)

翌2日には、滋賀県にある淡海一家(髙山誠賢総長)の組事務所に場所を移し、六代目共政会(荒瀬進会長=広島)、二代目親和会(𠮷良博文会長=香川)、七代目合田一家(末広誠総長=山口下関)、四代目福博会(金城國泰会長=福岡)、七代目会津小鉄会(金子利典会長=京都)の順に到着。各組織のトップらが、続々と司六代目のもとを訪れた。

その中で印象的だったのが、司六代目と親戚・友好団体トップらとの、これまでにない距離の近さだった。

「淡海一家には合計5団体が30分おきに訪問したんやが、一行が引き揚げるたびに司六代目本人も玄関前に出て見送っとったんや。警察も地元の滋賀県警だけやなく、兵庫、愛知、和歌山から捜査員がいっぱい来て緊迫しとったけど、意に介す様子もなく笑みを浮かべて客人に挨拶しとったで。親しみの表れやと思うから、山口組の分裂以降も業界の結束が強まっとることを実感したで」(地元記者)

また12月5日には、住吉会(関功代表、小川修司会長=東京)一行が愛知県豊橋市の十一代目平井一家(薄葉政嘉総裁)本部を訪れ、司六代目と対面した。

「関代表の会長時代から個人的な挨拶が行われており、今回は住吉会が代替わりしているため、関代表と小川会長が揃って訪れたのだろう」(山口組ウオッチャー)

柴崎靖忠代表代理、児島秀樹代表代人、小坂聡会長代行らも同行し、ここでも司六代目との親交の深さを感じる場面が見られた。

建物内での挨拶を終えて関代表が送迎車に乗り込むと、司六代目が窓の外から顔を寄せて関代表と何事かやりとりし、直後に満面の笑みを浮かべたのだ。それを見て小川会長や髙山若頭も微笑み、親しいからこそのリラックスした様子が両者に見て取れたのだった。

「山口組と住吉会は親戚関係にないが、平和共存路線という共通の方針がある。その思いを再確認し、今後ますます発展的な関係を築いていくはずだ」(同)

六代目側が6年ぶりに墓参

その反面、こうした六代目山口組の動向は、分裂を完全終結させる戦略の一環だとする声もある。

「いわば〝外交〟で、東西の主要組織が六代目山口組を支持している現状を誇示する意味合いもあるだろう。挨拶は分裂前から行われてきたが、今では対立する神戸山口組へのプレッシャーにも受け取れる。暗に、終結を早める策でもあるんじゃないか」(他団体幹部)

実際、六代目山口組は武力行使や〝切り崩し工作〟によって攻め続ける一方で、神戸寄りだった団体と改めて親戚関係を結ぶなどの〝重要外交〟も行ってきた。

「こうした他団体との繋がりを、分裂前の形に戻していくことも目標の一つで、今も水面下では進めている可能性がある」(同)

また、組織関係者らが「分裂終結は近い」とする根拠に五代目山健組(中田浩司組長=兵庫神戸)の復帰を挙げており、山健組出身の渡辺芳則・五代目山口組組長の命日となる12月1日には、六代目山口組が6年ぶりに墓参を行ったのだ。

「分裂した平成27年の命日は、両山口組がバッティングして警察も慌てとった。トラブル回避のためか、その後は神戸側が墓参するようになった。せやけど、今年はどうなるのかと思うとったで」(関西の組織関係者)

渡辺五代目の墓所は警戒区域の神戸市にあるため、準備に訪れた山健組の直系組長らも3人を超えることはなく、墓参が開始されても常時、組員1人が待機していた。しかし、ある電話によって素早くその場を離れた。しばらくすると、六代目山口組の篠原重則幹部(二代目若林組組長=香川)が姿を現したのだ。

篠原幹部は準備を始める中で、もともと置かれていた手桶を持参した物に換えるよう、同行した組員に指示。その理由は、置き換わった手桶に菱の代紋が入っていることからも明白だった。その後、安東美樹若頭補佐(二代目竹中組組長=兵庫姫路)と鈴川驗二・六代目早野会会長(大阪平野)らも墓参。渡辺五代目に山健組の復帰を報告し、分裂終結を誓ったと思われた。

「山健組の復帰は、終結に向かう中で象徴的な出来事やった。だからこそ、六代目側の最高幹部たちも墓参したんやろ」(同)

最終ステージに入ったといわれる分裂問題は、緊張状態が続いている。

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