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岸田新総理はトップに立つ器ではない!?~森永卓郎『経済“千夜一夜”物語』

森永卓郎
森永卓郎 (C)週刊実話Web 

自民党の岸田文雄総裁が10月4日召集の臨時国会で、第100代の総理大臣に指名された。岸田総理は1957年生まれで私と同い年になる。57年は「団塊の世代」と「第2次ベビーブーム世代」に挟まれ、出生数がボトムに達した年でもある。この「10年後世代」がこれまでの人生でずっと担わされてきたのは、団塊の世代がつくり出した社会混乱の後始末だった。

47年から49年生まれの団塊の世代は、大学生時代、70年安保闘争に明け暮れた。都内だけで50以上の大学をバリケードで封鎖し、東大の安田講堂を占拠した上、東大入試を中止に追い込んだ。私が大学に入ったときには、まだ校門前には立て看板が並び、ヘルメットにゲバ棒で、校内集会を開く学生が一部残っていた。だが、その時期を最後に、大学から熱のこもった学生運動は消滅していった。

団塊の世代は高度成長に支えられて、順調に社会人としての生活を踏み出した。しかし、あまりにも大人数でインパクトが強い彼らがポストに就く頃には、それまでの年功序列制の維持が難しくなっていた。そのしわ寄せは成果主義の強化として、私たち10年後世代を襲ったのだ。

バブル経済を「実行犯」としてつくり出したのも団塊の世代であり、彼らは今、まさに公的年金制度を破壊しようとしている。800万人にも及ぶ団塊の力だ。10年後世代は、常にその後始末を強いられてきた。

だから、岸田総理が総裁選で「総裁を除く党役員の任期は3年まで」と世代交代を訴え、「新自由主義と決別する」と宣言したとき、私は内心で拍手喝采した。長老支配に終止符を打つ覚悟を決めたと思ったのだ。

しかし、私の期待は党役員人事で早くも打ち砕かれた。岸田総理は決選投票で、事実上の安倍派である細田派と麻生派の支持を受けて勝利した。その「恩返し」とばかり、彼らにポストの大盤振る舞いをしたのだ。

“重大な決断”ができなかった岸田新総理

麻生太郎副総裁(麻生派)、甘利明幹事長(麻生派)、福田達夫総務会長(細田派)、高市早苗政調会長(無派閥・元細田派)と、党幹部は安倍・麻生ラインが独占した。

閣僚人事でも、松野博一官房長官(細田派)、鈴木俊一財務大臣(麻生派)、萩生田光一経産大臣(細田派)と、重要閣僚に安倍・麻生ラインを登用した。彼らは新自由主義の推進者だ。

岸田総理が本気で新自由主義と決別するつもりがあるなら、彼らを登用してはいけない。しかし、岸田総理には、その重大な決断ができなかった。総裁選での借りがあるからだ。

だが、岸田総理には改革できる可能性があった。細田派、麻生派に対して「抵抗勢力」というレッテルを貼り、内々に振り出していたポストの約束を反故にすればよかったのだ。

03年の自民党総裁選では橋本派会長代理の村岡兼造氏が、自派候補ではなく森派の小泉純一郎氏を支持したことに対して、野中広務氏が「毒まんじゅうを食らったのではないか」と批判した。しかし、当選した小泉氏は村岡氏を救わなかった。村岡氏は直後の衆院選で落選し、引退した上に不正献金事件で有罪となったのだ。

自分を支持してくれた議員を平気で裏切るくらいの冷酷さ、非情さを持っていないと、魑魅魍魎が渦巻く政界でリーダーシップを執ることはできない。ところが、10年後世代で平和な世の中づくりに努力を重ねてきた岸田総理は、恩人を平気で裏切るような真似ができなかった。誠実で優しい人なのだ。

ただ、残念ながらその優しさは、岸田総理が一国のトップに立つ器ではないことを意味する懸念もある。

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