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芸人と野球選手の不思議な出会い~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七 
島田洋七 (C)週刊実話Web

前回も書いたけど、高校まで野球をやっていた俺にとって、プロ野球選手は憧れの存在です。

東京へ進出する前、まだ大阪で劇場に出ながら、たまにテレビ出演させてもらう程度の頃はアルバイトをしていたんです。ある日の夜7時頃、アルバイト先に向かおうと、大阪のミナミを歩いていると、どこか見覚えのある人が歩いている。東尾修さんでした。

当時の東尾さんは福岡が本拠地のクラウンライターライオンズの選手で、年間20勝を上げるほどの凄い投手だった。でも、いまと違ってパ・リーグは人気がなかったから、誰にも気付かれずに1人で歩いていたんだろうね。野球ファンの俺は居ても立ってもいられなくて、東尾さんに話しかけたんです。すると「よく分かるね。友だちと食事の約束をしているんだけど、遅れるみたいだから久々にミナミの街をプラプラしているんだよ。君は何しているの?」と東尾さんに聞かれて、「これからアルバイトなんです。実は、B&Bという漫才コンビを組んでいます。お時間があるならアルバイト先のスナックへ来ませんか」と誘ったんです。

スナックはママと娘さん含め、女性が3人いるだけのこじんまりとした上品なお店です。そうしたら東尾さんは来てくれて、色々と話をさせてもらった。でも、ママたちはパ・リーグの選手を知らないから、「あの人はホンマに野球選手?」なんて疑われましたよ。1杯だけ飲むと、東尾さんは友だちと待ち合わせている店へ行きましたね。

ライオンズが移転した所沢に家を建て

後日、南海とクラウンライターの試合が大阪球場であった。花月から大阪球場は近いから、劇場の出番が終わると向かいました。関係者入口で「B&Bの島田洋七です。東尾選手はいらっしゃいますか?」と伺うと、球団マネジャーが「中へ入ってください」と通されました。

東尾さんに再会して話をしているうちに、年齢がほぼ一緒なのが分かった。「南海の選手で知ってる人はいる?」と聞かれたから「黒田(正宏)さんです」と答えました。黒田さんは、野村克也さんにも期待された名捕手でコーチになっても大活躍した人。家族ぐるみの付き合いだったんです。

東尾さんと話し込んでいると、「洋七! お前、どうやって入ってきたんや」。どこからともなく黒田さんの声がした。先日、ミナミの道端で東尾さんと出会ったことを黒田さんに説明し、「今日は試合終わったら待っとけ。食事に行くぞ」と誘ってもらいました。

東京へ進出して漫才ブームで売れた頃も黒田さんとは連絡を取っていて、「人気商売はいつまで続くか分からんから、若いうちに家建てとけ」と言われたんです。うちの子どもは体があまり強くなかったから「良い場所はないですかね」と相談すると、「(埼玉県)所沢に空気の良い場所がある」と西武不動産を紹介してもらい、所沢に家を建てたんですよ。

その頃、クラウンライターライオンズは親会社が西武になり、本拠地を所沢へ移していた。それから本格的に東尾さんと仲良くさせてもらったんです。

いま考えると面白い出会いでした。芸人と野球選手が出会うのは大体、誰かの紹介です。でも、俺と東尾さんの出会いはミナミの道端ですからね。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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