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写真家・秋山庄太郎“配牌最優先の横向き打法”~灘麻太郎『昭和麻雀群像伝』

(画像) 54613 / shutterstock

女性の顔の美しさにこだわり、生涯の前半は主に女優のポートレートを多く撮影した秋山庄太郎。

彼は女性を撮影することについて「そっくりに撮ると変な顔、倍くらいきれいに撮って少し満足、嘘みたいにきれいに撮るとやっとニッコリ、なかなか感謝してもらえませんよ」と、ユーモア交じりに語っている。

こんな昭和を代表する人気カメラマンは、二つの理由から麻雀仲間に広く愛されていた。

一つは、大きな目玉をむき出しにしたコワモテの外見に反して、性格は至って柔和。愛嬌のある雀風は誰からも好かれた。

しかも、風貌とは裏腹に、危険牌を切る際には卓上を正視するのが怖いらしく、横を向きながら牌を切る。そのポーズを見て、いつしか〝横向き庄ちゃん〟というニックネームが与えられた。命名者は作家の吉行淳之介で、「庄ちゃんが、また横を向き始めたぞ」と言って、からかうのだ。

だが、当の庄ちゃんは、そんな挑発に乗るほど心理的余裕がない。たった今、自分が切った牌が無事に通過したかどうか、横を向いたままの格好で目線だけを卓上に注いでいる。愛すべきパフォーマンスは、後輩連中から見ても憎めない。

庄ちゃんが万人に愛されたもう一つの理由は、徹底して手なりの麻雀を打つ点にあった。

一般的に手なりというのは、牌の流れに逆らうことなく、素直な手作りをする雀風を指すのだが、庄ちゃんの場合は、それとは少々異なっている。ツモの流れに対して素直なのではない。最初に手にした13枚(親なら14枚)の牌に素直なのだ。つまり、配牌に忠実に打つタイプなのである。

カモになってくれる愛すべき庄ちゃん

13枚の中で、ある1種類の牌が目立って多い場合はチンイツ、ないしはホンイツ。トイツ形が多ければ、トイトイ、チートイツ。一、九、字牌が少なければタンヤオで、逆のケースならチャンタや純チャン、さらには国士無双…というように、庄ちゃんの麻雀は配牌がすべてに優先する。

13枚を理牌した時点で、最終形がほぼ決定されるのである。あとはアガりのイメージに沿って摸打を繰り返すのみ。当然、牌の流れをまったく無視しているわけだから、捨て牌が片寄りやすい。

将来のテンパイ形を予測した先切りや、筋引っかけなど、作りテンパイとは無縁である。相手にとって、これほど手の内が読みやすいことはなく、「今度はチンイツかな」とか、「ピンフを狙ってるな」とか、すぐに見抜かれてしまう。

しかし、時には読めないこともある。私と打っていたオーラスの局面で、北家の庄ちゃんはマイナス1300点で2着。親の私は1000点プラスでトップ。この局、庄ちゃんは二萬から切り出し、次に西、三索、一萬、九索と切り、7巡目に七筒切りでリーチをかけた。ドラは九筒である。

萬子、索子、筒子のバラバラ切りで読みにくいが、接戦だけにアガった者の勝ちとなる。すると、庄ちゃんは9巡目に七萬ツモでアガり、發のアンコでドラはなくテンパネはしなかったが、1000、2000でトップを獲得した。

ツキがあり、ツモの調子がいいときは、このように勝てる。そんな日の庄ちゃんは、ルイ・アームストロングばりのしわがれ声で、横文字の歌を口ずさんだものだった。

もっとも、サッチモ(アームストロングの愛称)に変身するのはまれで、たいていはカモになってくれる。愛すべき庄ちゃんに終始するのだ。

“雀聖”に勝ち銀座で上機嫌

1970年2月、吉行が純正九蓮宝燈を和了した。牌の種類は別に萬子に限らず、筒子や索子でもOKだが、ほとんどが高目なら九蓮宝燈、安目であれば単なるメンチンにしかならないケースが断然多い。

吉行がわざわざ自筆年譜に純正九蓮宝燈を書き入れたのも、奇跡的な出来事であったからだが、そんな大役満を振り込んだのが、われらの庄ちゃんだった。

ある夜、庄ちゃんが意気揚々と1人で銀座のクラブに現れた。ここは文壇関係者のたまり場であった。

「あら先生、何かいいことがあったみたいですね」

「ママ、分かるかい。俺は麻雀が強いんだ。あの〝雀聖〟と呼ばれる阿佐田哲也に勝ったんだ、見てくれ」

秋山はポケットの中から名刺を取り出して見せた。名刺の裏には〈金、二十万両、借り受け候〉という文面で、阿佐田の名前が印してあった。

「お強いのね、先生は…。じゃあ乾杯しなくちゃいけませんねぇ」

商売上手のママに言われてニューボトルを入れ、終始、ご機嫌の庄ちゃん。その夜は気をよくして、うれしそうに帰っていった。

しかし、庄ちゃんが帰ってしばらくすると、他の席にいた編集者が野暮なことを言い始めた。

「阿佐田哲也のあの手の名刺なら、俺だって持っているし、他にも持っている人間を知ってるよ」

「そんなこと言わないの。本人が喜んでいるんだから、それでいいんです」

さすがママ、ぴしゃりと編集者の口を封じてみせた。

阿佐田が残していった言葉に、「配牌を取ったら、まず三色を考えよ」というものがある。確かに、阿佐田が安手でアガることはほとんどない。腰を据えて、じっくり大物手を狙う打法であった。

しかし、手なり主義の庄ちゃんにも、ツキがあれば勝つチャンスは十分にある。それも麻雀なのだ。

(文中敬称略)

秋山庄太郎(あきやま・しょうたろう)
1920(大正9)年6月8日生まれ〜2003(平成15)年1月16日没。黒をバックにした有名人のポートレートで知られ、週刊誌の表紙を多数手がける。45歳以降は風景を撮影することが多くなり、特に花の写真はライフワークとなった。

灘麻太郎(なだ・あさたろう)
北海道札幌市出身。大学卒業後、北海道を皮切りに南は沖縄まで、7年間にわたり全国各地を麻雀放浪。その鋭い打ち筋から「カミソリ灘」の異名を持つ。第1期プロ名人位、第2期雀聖位をはじめ数々のタイトルを獲得。日本プロ麻雀連盟名誉会長。

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