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X JAPAN・hideさん、現在は「不慮の事故」が定説だが…【芸能人衝撃の自殺④】

hideさん告別式
hideさん告別式(C)週刊実話Web

芸能人の死は、皮肉な結果を生み出すこともある。その最たる例がX JAPANのメンバーで、当時はソロ活動をしていたギタリスト・hideさんの死である。

1998年、hideさんは「hide with Spread Beaver」というプロジェクトに注力していた。その前年の97年にToshiが脱退したことで、X JAPANは事実上の解散となり、ソロ活動に力を入れ始めていたのだ。

Hideさんは、曲作りとレコーディングに打ち込み、オリジナルアルバム『Ja,Zoo』を作り上げた。そこから4つの曲をシングルカットし、大々的にプロモーション活動を行った。

まずは、98年の元旦に第1弾シングルである『ROCKET DIVE』の広告を新聞紙上に全面で掲載。テレビやラジオなどへの出演も行い、多忙ではあるが、充実した日々を送っていたという。

しかし、同年5月1日、テレビ収録のあとで打ち上げに参加すると泥酔。マネジャーである弟に家まで送ってもらったが、翌朝、寝室のドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態で発見された。

翌2日の午後3時ごろから「警察は自殺と断定」と報じられたが、マネジャーである弟は、「以前から首の牽引ストレッチを行っていた」と主張。首吊りの方法が不自然であることから、現在は「不慮の事故」が定説となっているが、しばらくの間は自殺と信じる人が多かったのである。

死後に発売された作品がメガヒット

自殺のニュースが連日のように報じられるようになると、hideさんの人気が急上昇。X JAPANは、すでに伝説的なバンドであったが、全国的な知名度でいえば、リーダーのYoshikiを筆頭に、洗脳騒動で世間を騒がせたボーカルのToshiに次ぐ、hideさんは3番手だった。一部の若者には熱狂的に支持されていたが、老若男女幅広い層にまでは浸透していなかったと思われる。

ところが、hideさんの死からわずか11日後、第2弾シングル『ピンクスパイダー』が発売されると、オリコン1位を獲得してミリオンセラーとなった。過去のソロ活動時のシングル売上が20万枚前後だったことを考えれば、異例の大ヒットである。

皮肉なことに、hideさんは自身の死が最高のプロモーションとなり、前作『ROCKET DIVE』を含めた4つのシングルと、それらの曲がすべて収録されたオリジナルアルバムもメガヒットとなったのだ。

残念ながら、hideさんの死でも、19歳の少年と中学生の少女が後追いと思われる自殺を遂げている。もし、マスコミが冷静に報道し、「自殺」ではなく、「事故の可能性が高い」と報道していたならば、この2人は後追い自殺をしなかったかもしれない。

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