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『悪魔に愛されたボクサー』(松柏社:丸山幸一 1540円)~本好きのリビドー/悦楽の1冊

『悪魔に愛されたボクサー』(松柏社:丸山幸一 1540円)~本好きのリビドー/悦楽の1冊
『悪魔に愛されたボクサー』(松柏社:丸山幸一 1540円)

作品としての首尾結構や完成度など目もくれず、たとえ粗削りの極みであっても有無を言わせぬ迫力、というより摩訶不思議な引力に魅きつけられてしまう、異形の作とでも呼ぶほかないものがある。

東宝創立50周年記念と銘打たれ、あの『砂の器』や『日本沈没』『八甲田山』など数々の大ヒット作を生んだ脚本家の橋本忍が、原作・シナリオから初めて監督まで手がけた映画『幻の湖』が、筆者にとってまさにそれ。

物語を圧縮して書けば、〝愛犬を殺された雄琴のソープ嬢がマラソンを覚えてにわかランナーとなり、犬を死なせた相手を見つけて復讐する〟と、こうなるが、なぜか途中のシーンで宇宙に向けてロケットが発射されるわ、織田信長が出てくるわ。

3時間近い上映時間のあいだ、観客の脳内を去来するのは無数の「どうして?」の筈のところ、気がつけば爆笑のうちに見終えて呆然とするのみの、稀有な鑑賞体験が味わえるだろう。

ボクサーのごとく余計な文章を減量する姿勢

ボクシングライター歴半世紀近くに及ぶ著者の手になる本書を一読後、思わず『幻の湖』を連想したのも、表題作に重要な形で関わってくるのが犬だからだが、他に収録の短編「祥子―ある女拳闘家の記録」にせよ「真夜中の電話」にせよ、注目すべきはボクシングがあくまで道具立てでしかない点。むしろ、そこがポイントだ。

凡百の書き手なら、いまだ伝説的に語り継がれる1989年、高橋ナオト対マーク堀越の試合(なにしろこの一戦の印象から、高橋ファンだった原作者の漫画『はじめの一歩』が誕生したという)が小説に絡めば、ただひたすら、その攻防と両者の内面描写に淫してもおかしくない。素材のために余計な文章を減量する姿勢は、選手に等しい禁欲、とみた。

(居島一平/芸人)