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ビートたけし「お金で芸を買いたい」~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七(C)週刊実話Web

たけしと初めて会ったのは、漫才ブームの前、まだ俺が大阪で活動していた頃。テレビ番組の収録のために、横山やすし・西川きよしさんとB&Bで東京へ行った時のことでした。収録が終わると、「夜は空いてるか? 東京におもろい若手の芸人がおるから紹介したる。一緒に飲みに行こうや」とやすしさんに誘われて、待ち合わせ場所の錦糸町のロッテ会館へ向かうと、そこに立っていたのがたけしだったんですよ。「北野です。よろしく」と言うから、こっちも「島田です。よろしく」と交わしたのが最初の一言。それまでツービートのことは、テレビで見たことがあったけど、初対面のたけしは大人しい感じだったのを覚えていますね。

3人でタクシーに乗って、やすしさんがクラブかスナックへ飲みに連れて行ってくれるのかなと思ったら、運転手さんに「千葉へ行って」と。千葉のどの辺かは覚えていないんだけど、やすしさんが「ここで止めてや」と言って、タクシーから降りると、目の前には食堂しかなかったんですよ。

その食堂はやすしさんの知り合いの方が経営していて、そこで飲み始めたんです。しばらくすると、やすしさんとその店の大将がどこかへ行ってしまった。店に取り残された俺とたけしの2人だけで飲みながら、やすしさんが戻ってくるのをずっと待っていたんだけど、夜の12時をまわっても2人は一向に帰ってこない。すると女将さんが「そろそろ店閉めていいですか?」って申し訳なさそうに言ってきた。

電車で帰ろうと最寄り駅へ行ったんだけど、もう終電は終わっていたんです。タクシーで東京へ戻ろうということになって、「島田くんはいくら持ってるの?」とたけしに聞かれたんだけど、500円しか持ってなかったのよ。そうしたらたけしに「大阪から来たのに、それしか持ってないの」って。「北野くんはいくら持ってんねん?」と聞き返すと「700円」だと。ほとんど変わらないやん(笑)。

たけしと真夜中に歩きながら…

仕方ないから2人で歩いて東京へ戻ることになって、その間にいろんな話をしたのを覚えている。当時、東京の芸人は歌手の前座としてキャバレーなんかに出演していて、そこでどんな失敗をしたとか、そんな話ばかりしてたな。「島田くんはどんなところで仕事しているの?」と聞かれたんだけど、大阪だとそういう営業はなかったんです。当時は、吉本興業に所属していたから、難波、梅田、京都に専用の劇場があって、若手が少なかったから、B&Bは11カ月連続出ずっぱりだった。そのおかげでしゃべくりがうまくなったのかも。

他にも、もし売れて、お金がたくさん入ったらどうするという話をした。若手芸人同士が、よくする会話だね。俺は子どもの頃、貧しかったから「サバを1匹まるまるかぶりついて食いたい」と答えたら、たけしは「俺は買えるものなら芸を買いたい」。その時は深い意味には思わなかったんだけど、変わっているなと思ったね。そこがその後の俺とたけしの開きだね(笑)。

そんな会話をしながら、3~4時間歩くと、始発が走り出したのが見えて、近くの駅から電車に乗って泊まっていた赤坂のホテルへ戻ると、フロントにやすしさんがいた。「師匠、昨日はどこ行ってたんですか? 大変でしたよ」と言うと、「何言ってんのや。元気で何よりやがな」だって。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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