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「漢方薬のように」田中角栄の事件史外伝『宿命の二人――竹下登との“人たらし比べ”秘録』Part5~政治評論家・小林吉弥

衆議院議員、自民党、首相=1973(昭和48)年8月5日撮影(C)共同通信社

「竹下君。人間は口は一つ、耳は二つだ。まず、相手の話を聞け。人間関係をうまくやるコツだ」

竹下登が衆院議員に初当選を飾った直後、佐藤派の領袖だった佐藤栄作(のちに首相)は、まず竹下にこう言い置いた。これを竹下は愚直に実行することで、やがての天下取りに結びつけたのだった。

一方の田中角栄は、時に佐藤派の台所(カネ)の面倒を見る同派幹部で、竹下の初当選時は、すでに当選5回の馬力に満ちた郵政大臣であった。田中は郵政省職員に気配りを全開にする一方、全国から殺到するテレビ免許の許認可申請に調整能力を発揮し、一気に裁いてみせる剛腕ぶりを示していた。

しかし、竹下のまず相手を立てるという気配りには、同じ派閥で身近にその手法を目の当たりにしていた田中も、感心することが多々あった。だが、それが気配りの〝近親憎悪〟として、やがて竹下との距離を広げていくことになった。

こんなエピソードがある。竹下と同じ早稲田大学雄弁会のOBで、平成8年に死去した小説家の豊田行二から、同じ雄弁会の後輩だった筆者が聞いた話である。

「竹下という人物の本質は、気負い、驕りが一切ないということだ。例えば、多くの人が集まった際の記念撮影でも、竹下は要望があれば一人一人との写真にも応じる。角さんも目白の自宅で陳情客などとの記念撮影に応じているが、ツーショットに応じるのはほんの数人だけらしい。ところが、そうした場合、竹下は『一人20秒だな』を口癖に、何人いてもすべてに応じるから凄いのだ。その話を知った角さんが、『あいつはそこまでやるのか』と憮然としていたときがあったと、角さんの秘書から聞いたことがある」

気配りの姿勢を終生通した竹下登

また、元田中派担当記者からのこんな話もある。

「竹下は〝政治の師〟である佐藤派幹部の保利茂(元幹事長、元衆院議長)から、野党質問に対する答弁、記者会見でのやりとりについて、こう教えられたそうだ。『野党が間違った質問をしても、それは間違いですねと答弁するようでは、とても一人前とは言えない。それとなく、相手がちょっと質問のツボを間違えたかなと感じる程度に答えておくことだ。そのことが、あとで必ず生きてくる』と。

同様に、記者会見の際も『あなたの質問の意味がよく分からないなどとは、決して言ってはならん。相手は、他の記者の中で恥をかく。それとなく、あなたの質問は間違っていますよと気付かせる程度に答えてやることだ。救われたその記者は、以後、間違っても君を攻撃するような記事を書けなくなる』と。

竹下は終生、そうした気配りの姿勢を通した。だから田中が倒れた後に、田中派を糾合して竹下派の旗揚げに成功、天下を取ることができたのである」

野党議員や記者に対するこうした対応は、さしもの田中にもできない芸当であったために、竹下には「調整名人」との代名詞もあった。相手に対する普段の気配りが、いざ物事の調整を迫られたとき活きてくるからである。

このあたりについて、筆者は首相の座を降りて間がなかった竹下自身に聞いたことがある。竹下はさらりと、こう答えたものであった。

まるで“漢方薬”のようにジワジワと…

「じつは、気配りなんてあまり意識はしていない。また、調整のコツというものも、取り立ててはないわな。ただ、一つ心掛けていることがあるとすれば、上から物を言わないということです。私の場合は、相手の言い分や立場を考え、自分が譲ったり、そこまで下りていくことを心掛けた。また、逆に相手を自分の立場まで引き上げてやるということもある。つまり、同じ目線、立場で向き合い、話し合うということです。大体、これでうまくいった」

そのうえで「調整名人」たるゆえんを「司、司に任せることにあるかもしれない」と、次のように続けたものであった。「司、司に任せる」とは、政治家として自分の方向性は示すが、あとは役所、役人などの担当者に任せるから、責任をもってやってくれという姿勢を指す。

「それぞれの持ち場が全力を出せば、ぬかりのない総合的な力が発揮できるし、担当者が勉強する仕事に取り組むことで、皆それぞれが実力をつけ、やがては人材として育つと考えている。司、司に任せるゆえんだわな」

すなわち、竹下の気配りは相手を活かし、やがては人材として羽ばたかせるところまで、視線が行っていることになる。ために、竹下流の気配りは、あとになって「漢方薬のようにジワジワ効いてくる」と言われていたのである。

人材育成の面でも定評のあった田中が、竹下の気配りを面白く思わなかったのも、うなずけるということである。

(本文中敬称略/Part6に続く)

【小林吉弥】=早大卒。永田町取材50年のベテラン政治評論家。抜群の政局・選挙分析で定評がある。著書に『高度経済成長に挑んだ男たち』(ビジネス社)、『21世紀リーダー候補の真贋』(読売新聞社)など多数。最新刊に『新・田中角栄名語録』(プレジデント社)がある。