3月に中央大学法学部通信教育課程を卒業した、歌手の松田聖子が、4月1日でデビュー45周年に突入。いよいよ完全復活が注目されている。
彼女は1980年4月に『裸足の季節』でレコードデビュー、2枚目のシングル『青い珊瑚礁』は日本レコード大賞新人賞を受賞、NHK紅白歌合戦にも初出場を果たした。
【関連】「夜も奉仕しないと使ってあげない」外国人ダンサーに“逆セクハラ”で訴えられた松田聖子【美女たちの不倫履歴書15】 ほか
「聖子さんが最初に所属した、サンミュージックプロダクションの相澤秀禎社長(当時)は〝地元(福岡県久留米市)の高校を卒業してから上京しなさい〟と諭した。しかし、思い立ったら一直線の聖子さんは高校を中退して上京。芸能コースのある堀越高校に転学した。芸能活動優先で大学進学を断念した聖子さんにとってはある種、学生生活への憧れがあったようです」(元女性誌記者)
コロナ禍で世の中が活動自粛を余儀なくされた2020年4月、中大法学部に入学。多忙の合間を縫って勉学に励んだ。
「中大在学2年目の2021年12月に、愛娘の神田沙也加さんが札幌のホテルで急死。悲しみを忘れるため、より一層、勉学に没頭したと聞いています」(同・元記者)
波乱万丈な松田聖子の芸能生活
私生活での彼女は結婚、離婚を繰り返した。1985年、神田正輝と結婚。翌年、長女の沙也加さんを出産した。
しかし、1997年に神田と離婚。1998年に6歳下の歯科医と〝ビビビ婚〟したが、2000年スピード離婚。
そして2012年、慶応大学歯学部准教授(当時)と再々婚し、それまで愛人説のあったマネジャーのK氏を解雇して関係を清算した。
「2年後、聖子さんはK氏とヨリを戻し、新事務所を設立した。前事務所の社長を務めていた実兄と役員の母親、所属していた沙也加さんと絶縁状態になったんです」(芸能ライター)
月日は流れ、沙也加さん急死という母親としてつらい出来事も起きた。
「聖子さんは世田谷区の自宅をバリアフリー仕様にし、絶縁していた90代の母親と同居しています。実兄とも和解しました」(同・ライター)
聖子の芸能生活45年は、あまりにも波乱万丈だ。
あわせて読みたい
- [New] 蝶野正洋『黒の履歴書』~少子高齢化社会の行く末
- [New] 『美女ざんまい』タレント・元プロレスラー/愛川ゆず季インタビュー~100センチH級維持の秘訣は…~
- [New] “破局報道”広瀬アリス&川口春奈の「連絡先争奪戦」が勃発!IT長者とセレブ婚間近か
- [人気] 映画『踊る大捜査線』織田裕二主演作を水面下で着々準備?ファン待望の“青島復活”なるか
- [人気] 『アンチヒーロー』の“ラスボス”は野村萬斎ではなく…予想外の人物が再登場か
- [話題] 元AKB48・板野友美が娘の“横顔ショット”を画像加工!?「まさかこんな小さな子どもにも…」
- [話題] 嵐・松本潤、旧セクゾ・佐藤勝利…ジャニー氏の“スペオキ”は新体制スタートも苦境のまま