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蝶野正洋『黒の履歴書』~プロレスラー・吉江豊選手の急逝

蝶野正洋
蝶野正洋 (C)週刊実話Web

最近は50~60代という若さで逝去された方の訃報が届くことが増えた気がする。

プロレス界では、3月10日に新日本プロレス出身の吉江豊選手が亡くなった。まだ50歳という若さだった。

試合後に控室で容態が悪くなり、そのまま搬送されたという。報道のご遺族のお話では、検死の際に心臓に動脈硬化が見つかり、それが原因かもしれないという。


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吉江選手は1994年に新日本プロレスに入門していて、小島(聡)選手や天山(広吉)選手ら第3世代の少し下くらいの世代になる。

デビューしてからは長州(力)さんが引退試合で行った5番勝負の相手を務めたり、棚橋(弘至)選手と組んでIWGPタッグ王座を獲得するなど活躍し、大きな体格でしっかりとしたレスリングができる優秀な選手と評価されていた。

なによりも性格が明るかったり、人に優しかったり、誰からも好かれる好漢だった。

新日本プロレス退団後は、さまざまな団体のリングに上がっていた。交友関係も広く、3月14日に行われたお通夜には団体の垣根を越えて多くのプロレス関係者が弔問に訪れており、俺も含めみんな吉江選手との最期の別れを惜しんでいたよ。

海外団体に移籍したオカダカズチカ選手

日本人では貴重な巨漢レスラーだった吉江選手のキャラクターは、業界で重宝されていた。

逆に言うと、プロとして体重150キロという巨体を維持しなくてはならなかったわけで、それはそれで大変だったと思う。

一般的に健康診断などで50歳を超えて肥満と判断された場合、医師からは「減量してください」と指導される。でも、吉江選手のようなプロレスラーはそこを無理しなくちゃいけない。

あの体形を維持しながら年齢を重ねていくと、どうしても体に負担がかかってしまうし、そもそも心臓や血管というのは鍛えられないからね。

他にも体重が必要な競技には相撲があるけど、関取の引退はもっと早く、引退後は食習慣を改善することが多い。近年は50代のプロレスラーも珍しくなく、そのシフトチェンジが難しいんだよ。

長く現役を続けていけるのもプロレスラーのいいところだけど、体が動くうちに稼いで第2の人生に進むという選択肢もあると思う。

新日本プロレスを退団して、海外団体のAEWに移籍したオカダカズチカ選手は、そちらのほうの考え方なのかもしれないね。

契約金が3年で20億円と報道されていたけど、よりよい条件の団体で試合をしたいというのは、プロレスラーとして当然だと思う。

一方で、エースを引き抜かれた新日本プロレスは苦しい。AEWは新日本プロレスと提携しているので、今後もオカダ選手が来日して新日本のリングに上がる可能性はある。

新日本側もそれも含めて送り出した部分もあると思うけど、なかなか思う通りにはいかないと思うんだよ。新日本はWWF、WCWとの提携関係の歴史があるが今回、オカダ選手の契約金が高すぎる。

そもそもAEWは、アメリカ進出を狙っている新日本プロレスを弱体化させるために引き抜いたのかもしれない。逆にAEWが単独で日本公演をするとなれば、オカダ選手は呼び物になる。

団体の思惑はいろいろあると思うけど、周りのことを考えずにやりたいようにやるというのも、プロレスラーの性だ。

ただ、最優先してほしいのはコンディション。どこのリングでも、体には十分に気をつけてもらいたい。

蝶野正洋
1963年シアトル生まれ。1984年に新日本プロレスに入団。トップレスラーとして活躍し、2010年に退団。現在はリング以外にもテレビ、イベントなど、多方面で活躍。『ガキの使い大晦日スペシャル』では欠かせない存在。

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