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漫才ブームでネタにした「借りた」話~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

B&Bがまだ大阪で活動していたとき、吉本の劇場でやすきよ(横山やすし、西川きよし)さんと同じくらい笑いを取っていたのがWヤングさんでした。

Wヤングさんの漫才は、とにかくウケる数が多いんです。

読売テレビの『お笑いネットワーク』という番組で一緒になったときのこと。Wヤングさんから「俺らは次の仕事があるから先にええか」と言われ「いいですよ」と出番を代わったんです。


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普通なら、俺ら若手の出番が先なんですよ。Wヤングさんの漫才を見ていたら、10分の持ち時間のうち、3分半はなんと俺らのネタだったんです。慌てて、ドライブのネタに変えましたよ。

漫才を終えたWヤングの平川幸男さんに「兄さん、うちのネタですやん」と振ると、「ちょっとネタ借りたわ。返すがな」。まるでボールペンや500円でも借りたかのように言うから、笑ってしまいましたよ。

この「借りた」というのが面白くて、漫才ブームの頃にネタにしたことがありましたね。

洋八に「ちょっと相談があんねん。100万円貸してくれ」、「何すんねん。お前も稼いどるやろ」、「貯金すんねん」、「なんで貯金するのに借りるねん」という具合にね。

そうしたら、「金貸してくれ、貯金すんねん」というのが楽屋で流行ったこともありました。

楽屋での会話から漫才が生まれる!?

営業では、俺が「嫁さん貸してくれ」と振り、「アホか、なんで嫁さん貸さなあかんねん」、「借りるだけやって」、「普通そんなことせえへんやろ。婆さん貸したろか」、「使い果たした婆さんいらんわ」、「うちの婆ちゃんは旦那さんが戦争で亡くなったから使い果たしてないで」。営業だから許されたネタですけど、めちゃくちゃウケてましたね。

あるとき、知り合いの方が楽屋に寿司を差し入れしてくれたんです。出番が終わり、食べようと楽屋に戻ったら、中トロが2個ない。

周りにいた芸人に聞くと、やすし師匠が食べていたと教えてくれたから「師匠食べたんですか?」と問い質したんです。

「ちょっと味見した。腹減ってたから食べたんちゃうで、味見やからな。これで安心して食えるやろ」。そんな風に返されたら、笑って何も言えないですよ。

やすきよさんなんてあれだけ売れていたから、お金に困っていたわけではない。楽屋でギャグを教えてくれていたんでしょうね。それにかわいらしいですよ。

「味見」もネタで使ったことがありましたよ。洋八が大学を卒業したばかりの女の子と結婚したときです。「大学出たばっかの若い子と結婚してええな。べっぴんさんやし。味見させてくれ」とね。

テレビじゃなく営業だからできるネタです。

他にも、吉本に売れていない師匠がいたんです。師匠も売れていないから弟子もお金がなくて、劇場に自転車で来ていた。

師匠が楽屋を出てどこかへ行った。戻ってきた師匠に弟子が「どこ行っていたんですか?」と尋ねると「お前の自転車を質に入れてきた。いくらするのか試しにな。1カ月経ったら返してもらって、試しに他の質屋へ入れてみ」。「試しに」と連発していましたよ。

そういう楽屋で飛び交っていた普通の会話が漫才になっていたし、漫才が上手い先輩たちは普段の会話の返しも抜群でしたよ。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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