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指名手配犯・桐島聡を名乗った男の半世紀にわたる「逃亡生活」を支えた趣味

(画像)image_vulture / Shutterstock.com

約半世紀前に指名手配された桐島聡容疑者(70=爆発物取締罰則違反容疑)を名乗る男が、1月29日に神奈川県鎌倉市の病院で死亡したことが世間の注目を浴びている。

社会部記者がこう語る。

「男性は今月胃がんで入院し重篤な状態だったが、1月25日になって『私は桐島聡だ。最期は本名で迎えたい』と病院関係者に告白した。免許証や健康保険証は持っていなかったため、連絡を受けた警視庁公安部が生前わずかに話を聞き、死後にDNA鑑定を行ったが、これが桐島容疑者の親族とほぼ一致したのです」


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死亡した人物が名乗った桐島容疑者は、過激派『東アジア反日武装戦線』のメンバーで、組織内の〝さそり〟というグループに所属していた。同組織は海外進出した企業を狙い、1970年代前半に爆破事件を次々と起こしたが、桐島容疑者は75年4月に手製爆弾を東京・銀座の韓国産業経済研究所で爆発させた容疑で、指名手配されていたのだ。

ロックやブルースが好き

DNA鑑定の結果が出る前後の2月2日には警視庁公安部が死亡した男の自宅を家宅捜索したが、関係者によるとこの人物は「内田洋」と名乗り、80年代から神奈川県藤沢市の工務店に住み込みで働いていたという。銀行口座を持っておらず、給料も現金で受け取り、周囲からは音楽好きで知られていた。

「男性は約40年間生活していた藤沢市のバーに、20年ほど前から月に1回程度、顔を出していた。店のオーナーの話によれば『60~70年代のロックやブルースが好きだった』そうです」(前出・社会部記者)

また、店員や客からは「ウッチー」「うーやん」などと親しまれていたが、独身で支援者などは見かけなかったという。男が桐島容疑者本人だとすれば、49年にわたる逃亡生活の実態は、どんなものだったのか。

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