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吉田沙保里「負けた人ってこういう気持ちだったんだな」~心に響くトップアスリートの肉声『日本スポーツ名言録』――第83回

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(画像)testing/Shutterstock

レスリング史上最強とされたロシアのレジェンド、アレクサンドル・カレリンの記録を優に上回り、大きな重圧と戦いながら「霊長類最強女子」の称号を得た吉田沙保里。全盛時は無敵の強さを誇り、まさに別次元の存在感を放っていた。

世界大会16連覇(うち五輪3連覇)、個人戦206連勝の大記録を打ち立てた女子レスリングの吉田沙保里は、2019年1月10日、都内ホテルで引退会見に臨んだ。生ける伝説の最終章となれば惜別の声であふれそうだが、当の吉田はさっぱりとしていた。

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「皆さん、こんにちは、吉田沙保里です。本日はお忙しい中、お集まりいただきまして誠にありがとうございます」

集まった記者たちに語りかける様子は普段通り落ち着いていて、引退を悔やみ悲しむようなそぶりは一切なかった。

間近に迫っていた東京五輪については、いくらかの未練や迷いがあったとしながらも「あらためて自分自身と向き合ったとき、レスリングはもうすべてやり尽くしたという思いが強く、引退することを決断いたしました」と、吉田はきっぱり言い切った。

中学時代からの公式戦は通算333勝15敗(不戦勝を除く)で、勝率は95%を超える。国内外のライバルたちから徹底マークされたことを考えれば、よほど実力差がなければ残せない数字だ。

中学3年時には手首を脱臼骨折したにもかかわらず、コーチで実父の吉田栄勝氏に命じられ、1カ月半後の全国大会に出場して優勝したこともあった。このとき手術時に入れたボルトが手首から突き出していたが、それを切り落として出場したのだという。

幼少時から父のスパルタ式トレーニングで鍛えられ、「怖くて逆らえなかった」とは言いながら、同時に強い愛情も感じていた。

「勝って父を肩車したい」と言って臨んだ12年のロンドン五輪では、大会3連覇を決めてバック宙で喜びを表現した後、宣言通りに栄勝氏を肩車してみせた。

「父さんは重かった。でもやりたかった」

そんな父が14年3月11日、くも膜下出血により61歳で急死する。だが、吉田はわずか4日後に開催されたワールドカップに出場した。

試合後、栄勝氏の遺影を抱えた吉田は「こんな状況の中、よく戦えたと思う」と振り返った。父の死だけでなく、大会前には左膝の内側側副靱帯を損傷するアクシデントもありながら、父を喜ばせようという強い思いが優勝にまで導いた。吉田は選手としての技術や能力だけでなく、精神力の強さに関しても突出した存在だった。

13年に五輪での女子レスリングの階級区分が、それまでの4階級から6階級に変更された際、多くの選手たちが注目したのは「55キロ級がなくなったため、吉田が新たに53キロ級と58キロ級のどちらを選ぶのか」という点だった。吉田と同じ階級では金メダルを獲得する可能性が、ほぼゼロになってしまうからである。

自らの糧にした〝涙の銀メダル〟

引退会見で記者からの質問のほとんどに即答していた吉田だが、唯一、考え込んだのは「思い出に残る試合はどれか?」という質問を受けた場面だった。全盛期の吉田は、誰が相手であろうとやるべきことをやって、当たり前のように勝利を重ねてきただけに、特に思い出となるような試合もなかったのだろう。

現役時代、世界大会における金メダルの数を尋ねられたときも、あっさり「忘れました」と答えている。吉田自身におごった気持ちがなくとも、20年以上も圧倒的な強さを維持していれば、そんな感覚になってしまっても不思議ではない。

引退会見で悩んだ末に思い出の試合に選んだのは、16年のリオデジャネイロ五輪の決勝だった。

「リオの前までは世界V16で一番高い表彰台に上っていて、『ああ、やった…勝ててよかった、うれしい』という気持ちしかなかったのが、リオで2番目に上ったとき、『あっ、負けた人ってこういう気持ちだったんだな』と感じましたし、『こういう競い合う仲間がいたから頑張ってこられたんだな』と、負けて知ることができたことを思えば、私自身を成長させてくれたと思い出に残っています」

敗戦直後、実際は「取り返しのつかないことをしてしまった」と大号泣していた吉田だが、そんな熱い勝負師としての気持ちも引退を決断するまでに和らぎ、敗北の衝撃を自らの糧にしたことが分かる。

パーフェクトな選手生活を送り、引退後もさまざまな分野で活躍を続ける吉田だけに、結婚についての話題を報じられることも多い。テレビ番組ではリップサービスの部分もあるだろうが「慎吾くんとは同級生で、40歳までに結婚できなかったら、結婚しようかみたいな約束しています」とも話している。

慎吾くんとは、芸能界きっての〝チャラ男〟として知られるオリエンタルラジオの藤森慎吾のことである。そんな吉田は昨年10月5日に41歳の誕生日を迎えた。相手が誰になるかはともかく、もしかすると今年中にも、おめでたい話が聞こえてくるかもしれない。《文・脇本深八》

吉田沙保里
PROFILE●1982年10月5日生まれ。三重県出身。女子レスリング個人で世界大会16連覇、個人戦206連勝を記録。2004年のアテネ五輪、08年の北京五輪、12年のロンドン五輪と3大会連続で金メダルを獲得。12年に国民栄誉賞を受賞。

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