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坂田利夫さん死去…数々のギャグと“アホの芸風”で全国的な人気を誇る

坂田利夫
坂田利夫(C)週刊実話 

〝アホの坂田〟の愛称で親しまれたお笑い芸人・坂田利夫さん(本名・地神利夫)が昨年12月29日に老衰のため死去した。82歳だった。

小社から『お笑いがばい交友譚』を出版した坂田さんの後輩芸人にあたる『B&B』の島田洋七氏は、

「以前、坂田さんに『兄さん、インフルエンザの予防接種を打ちに行きませんか?』と誘ったら『なんやそれ?』と聞くので『インフルエンザに罹らないように打ったほうがいいですよ』と言ったんです。そして、2人で病院へ行ってワクチン接種した。すると坂田さんは病院の受付で『チェックして』と俺の分も払ってくれたんです。スナックや居酒屋ではないのに。楽屋に戻ったら戻ったで芸人仲間に『洋七にワクチンおごったったわ』。昼めしやないのにね」と思い出を振り返り、「坂田利夫さんは世界で唯一無二の芸人です」と追悼した。

【関連】ワクチンをおごってくれた坂田利夫~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』 ほか

昨年3月に著書『居場所。』を上梓した吉本興業ホールディングス会長(当時)の大﨑洋氏は、本誌の取材に応じた際、坂田さんについてこう語っていた。

「なんばグランド花月の楽屋で自動販売機の缶ジュースを買いに来ている人に『お前なんちゅうコンビや?』、『いや僕はコーラ買いに来てるだけです』。『お前みたいな芸人見たことない誰や!』なんて話しかけているんです。それでいて舞台に上がったりするとあんな芸風ですから、お客さんにはボケてはんのか、ギャグやっているのか、分からへんのです。それでようウケるんです。そのリアクションに坂田さんもパーッと元気になって『今日の客、ええなあ』って。坂田師匠を見習わなあかんと周囲に言ってるんです」

「あ〜りが〜とさ〜ん」

当時の坂田さんは、高齢者施設からなんばグランド花月に通って舞台に上がっていたという。

坂田さんは1964年デビュー。67年に前田五郎さん(故人)と漫才コンビ『コメディNo.1』を結成し、「あ〜りが〜とさ〜ん」など数々のギャグで全国的な人気を誇った。

「02年2月に行われた『東京スポーツ映画大賞』で初めて坂田さんと会いました。01年から新設された『ビートたけしのエンターテインメント賞』で、02年のエンタメ賞の話題賞に鈴木宗男・現参院議員(鈴木氏は12年にカムバック賞も受賞)が選ばれた。鈴木宗男氏が欠席したので風貌が似ているということで、シャレで坂田さんに出演依頼したら快く受けてくれたんです。映画祭での坂田さんはテレビで見せる顔とは違い、まじめな初老紳士だったと記憶しています」(芸能ライター・本多圭氏)

生涯独身で通した坂田さんを看取ったのは、長年親交のあった間寛平夫妻だった。合掌!

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