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ツービートと勘違いしていた中原理恵さん~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

『東京ららばい』が大ヒットした中原理恵さんという歌手がいたでしょ。漫才ブームの頃、曲が好きで大ファンだったんです。仕事で一緒にならないかなと思っていると、『アイドルパンチ』という歌番組の司会を中原さんとB&Bで務めることになった。


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あるとき、那須高原のゴルフ場でお客さんを入れて、公開収録することになったんです。俺たちは昼の帯番組『笑ってる場合ですよ!』があったから、新宿のスタジオアルタを出るのが午後1時を回ってしまう。でも、ゴルフ場での収録は午後3時開始。収録に間に合わせるため、東京・木場のヘリポートから那須までヘリコプターで移動することになったんです。当時は、景気が良くて番組にも予算がありましたよ。

ヘリコプターに乗り込み、上空から初めて東京を見下ろしましたね。見渡す限りビルばかりで皇居がものすごく広いことに驚きました。

那須上空に到着すると、ゴルフ場がたくさんある。航空図を見ながらパイロットが目的のゴルフ場を探したけど、なかなか見つからなくてね。仕方ないから他のゴルフ場に着陸して、芝の整備をしていた人に聞いたんです。すると、「ここのゴルフ場の正面を出て、右に曲がって、角にある郵便局を…」と、道案内をし始めた。その人たちも途中でおかしなことに気付き、爆笑していましたよ。

ヘリコプターから場所を案内することなんて滅多にないから当然ですよね。結局、そのゴルフ場から6つほど先のゴルフ場であることを教えてくれて無事、会場に到着しました。

楽屋の名前を書き換えて…

中原さんがお客さんに「ツービートさんが今、新宿からヘリコプターで到着しました!」。俺らは吉本新喜劇のようにズッコケましたよ。

続いて西城秀樹を紹介する番になった。「秀樹さんもツービートの洋七さんも広島出身ですもんね」。お客さんはギャグだと思って笑っている。その日は特別に俺らも漫才を披露したんです。終わると、中原さんが「今、ノリにノッているツービートさんでした。コンビを組んで何年くらいですか?」「7年くらいですかね」。まだ俺らをツービートと勘違いしていました。

1本目の収録が終わり、休憩になった。即席の楽屋でお喋りをしていると、「ヘリコプターで移動って、ツービートさんの人気はすごいですね」と言うから、スタッフが「中原さん、それはギャグですよね? 番組が始まって何度も一緒に収録してますよ」。中原さんはようやく間違いに気づいたんです。そのとき、俺はファンだから中原さんにサインを頼んでおいたんです。

次の収録日。楽屋のドアに名前が張ってあるでしょ。「B&B様」を「ツービート様」に書き換えておいたんです。サインを届けに来てくれた中原さんは、楽屋の名前を見るなり「私の間違いをギャグにして。これは私のサインです。もらっていただいてありがとうございます」。

受け取ったサインを見ると、1枚目に「ツービート様」、2枚目には「B&B様」と書いてある。萩本欽一さんの『欽ドン!』にも出ていたから、さすがに笑いのセンスは抜群でしたね。あれだけのセンスを持つ歌手はなかなかいませんよ。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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