吉本興業に入った当初、うめだ花月で進行係として働いていたんです。そのときに仲良くなったのが、間寛平です。寛平もまだ新喜劇で通行人の役しか与えられていない時代ですよ。しかも、セリフは一言だけ。寛平に将来は何をするのかと聞かれ、俺の中では漫才でいきたい腹積もりがあることを伝えると、2人でしゃべくりの稽古をするようになったんです。
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吉本の公演は、最後が新喜劇。それが終わると、センターマイクを立ててもらい稽古をしていましたね。お客さんも先輩芸人も帰り、静まり返った劇場ではおばちゃんが掃除をしているくらい。おばちゃんに「手伝おうか?」と声を掛けると「いや、手伝わんでええよ。時々、100円玉や10円玉が落ちてるからな。お弁当が落ちてることもあるよ」。バスで来る団体さんは、弁当やお菓子、お茶などを配られていたけど、全部食べられなくて置いて帰っていたんでしょうね。
当時、俺は10日間公演で1万800円。交通費は自腹。1日1000円くらいしかもらっていなくて、ものすごく腹が減っていたんですよ。寛平もそんなに変わらなかったんじゃないかな。
俺ら2人は座席の下を探し回ると、寿司があったんです。おばちゃんに食べられるか尋ねると「寿司やから、刺し身は剥がさな、あたるかもしれん。米だけお粥にでもして食べたら」と言われたんです。
おかきはお粥の中に…
昔は楽屋にガスコンロが置かれていたから、刺し身を剥がして水を入れてお粥を作っていた。そこに現れたのが岡八朗さん。楽屋で台本を読んでいたみたいなんですよ。「寛平はもう帰ったんちゃうんか?」「島田くんとしゃべくりの稽古をしてまして」「おお、熱心やな。ところで、お前ら何しとんねん?」「お粥を作ってるんです」「でも、緑やないか」。わさびの色が出ていたんですよ。
まさか寿司を拾ったと口にできないから、適当に誤魔化しましたよ。岡さんが「ちょっと食わしてみ」。大先輩のリクエストに嫌だとも言えませんから、皿によそったんです。口にした岡さんは「なんやねんこれ。辛いやんか。わさびやろ。どないしたんや?」「掃除のおばちゃんに椅子の下に(弁当が)落ちてるからお粥にでもせえと言われたんです」。岡さんは「お前らはほんま金ないねんな」と、500円ずつくれました。岡さんが去った後、水と塩を加えたら辛さがなくなり、美味しくなりましたよ。
後日、掃除のおばちゃんに伝えると、「アイデアやな」と感心しながら「今度は刺し身も炊いてみ」と言われましたけど、さすがに生ものは怖いからやめときました。他にも、いなり寿司と巻き寿司のセットも落ちていましたね。それに、おかき。おかきはお粥の中に入れるとお茶漬けみたいで美味しかったですね。
俺らが弁当を拾って食べているのがウワサになり、事務所にバレました。ついに楽屋に「新喜劇の若い人や漫才のお弟子さんは、椅子の下に忘れていったお弁当は食べないでください。体、壊します」の張り紙が貼られるようになりましたね。
でもね、当時は芸人の数も少なかったから、支配人や事務員さんがよく立ち食いうどんに連れて行ってくれたものです。
島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。
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