芸能

相方は計5人…島田洋八は3人目の相方~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

島田洋八は3人目の相方です。最初の相方は『ヤングおー!おー!』の前説を担当していた萩原君。桂三枝(現・桂文枝)さんに紹介されたんです。まだ芸人になって1年ちょっとくらいの頃でしたけど、NHKのコンテストで優勝するんじゃないかとウワサになるくらいウケていたんですよ。


【関連】世界的レゲエ歌手のジミー・クリフさんとたこ焼き屋で~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』 ほか

でも、コンテストの数カ月前くらいになって、事情はわからないけど、萩原君は東京に行くと言い残し、コンビは解散してしまった。萩原君はその後、放送作家として成功しましたね。

コンテストが迫り困り果てていると、西川のりおが当時、松竹芸能の上方柳次・柳太さんの弟子の上方よしおを紹介してくれたんです。喫茶店での初対面。「趣味は何?」「ジャズが好きやねん」。ジャズという答えにビックリしてね。今風でオモロイかもと思い「漫才やらへんか?」「ちょっと師匠に聞いてみるわ」。俺は吉本だったけど、よしおは松竹だったんです。

数日後、「師匠が吉本で頑張れ」との許しを得て、島田洋一・上方真一として2代目B&Bを結成。ただ、NHKのコンテストまで50日ほどしかなかったから必死に稽古しましたよ。そうしたら、なんと『NHK上方漫才コンテスト』で優秀話術賞を受賞したんです。よしおのツッコミはとにかくシャープで上手い。しかも、前に出すぎないんですよ。

気持ちは東京進出に傾き…

大阪のラジオ番組で東西対抗の漫才番組がありました。大阪と東京の漫才師が対決するんです。まだ漫才ブーム前だったけど、東京から来た星セント・ルイスはCMに出て売れていました。大阪で迎えた俺らは東京からのお客様なので、セント・ルイスに「お先にどうぞ」と促すと「僕らはトリしかやらない」と断られましてね。俺らが先行で漫才をすると、会場は大爆笑。セント・ルイスの漫才は面白かったんですけど、お客さんのウケがイマイチでしたね。

というのも当時、大阪のお客さんは標準語に違和感があったみたいなんですよ。セント・ルイスもいつもならウケるネタがウケなくて、段々と間がズレていきましたね。

番組が終わると、「B&Bの名前は知っていたけど、凄いウケるね。東京は寄席だけでなく、歌手の前座やテレビにも出れるし、芸能界は東京じゃないかな」とアドバイスされました。それだけじゃないけど、俺の気持ちは東京進出に傾きましたね。よしおに相談すると「東京は怖いわ。吉本もないし、どこの事務所に入るの?」。まだ吉本が東京に事務所がなく、大阪の芸人が東京進出することもない時代でした。

俺は東京に行きたい気持ちが強かった。よしおと仲は良かったけど、コンビを解散し、洋八と組むことになったんです。漫才ブーム後も、間寛平や国分健二とコンビを組んだからB&Bの相方は5人になります。

1980年代に新宿のホールで、歴代の相方が順番に出演するイベントを開いたんです。もちろん、組む相手によってパターンは違いますよ。打ち上げの焼き肉屋で食べていると、イベントを見に来てくれた先輩芸人から「お前は風俗か。誰とでもやれるな」とツッコまれたから「風俗の洋七です(笑)」と返しましたね。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

あわせて読みたい