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『週刊実話』創刊65周年特別企画・本誌が選んだ時代のヒーロー〜昭和50年代・昭和を代表する“アイドル”山口百恵

山口百恵
山口百恵 (C)週刊実話Web 

本誌『週刊実話』が誕生したのは昭和33(1958)年のこと。前々年の経済白書が〝戦後の終結〟をうたい、日本経済が飛躍的な成長を遂げた時期に、『実話出版』から9月22日号として創刊された――。その後、一時的な休刊を経て昭和42年5月、『日本ジャーナルプレス新社』(弊社『日本ジャーナル出版』の旧社名)の設立とともに復刊。以来、週刊誌として発行され、今年創刊65周年を迎えたのである。その65年の歴史の中から選びぬいた、いまも輝ける時代のヒーローたちをご紹介。

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山口百恵は、昭和40年代後半から50年代前半を駆け抜けた〝スーパー歌姫〟だ。当時、歌謡界では絶大なカリスマ性を誇ったが、昭和55年に映画で共演した俳優の三浦友和と結婚し、同時に引退。芸能活動は7年半と短かったものの、歌に映画にドラマに残る〝百恵伝説〟は、今も色あせることがない。

神奈川県横須賀市で育った百恵は、昭和47年12月にオーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)で優勝。翌年、映画『としごろ』に出演し、同名曲で歌手デビューすると、森昌子、桜田淳子とともに「花の中3トリオ」と呼ばれ爆発的な人気を博した。

イメチェン後ヒット曲を連発するも…

ところが、デビュー3年目に大きな転換期を迎える。作詞家の阿木燿子、作曲家の宇崎竜童夫妻と出会い、大人の雰囲気漂う歌姫へとイメージチェンジ。『横須賀ストーリー』(同51年)や『イミテイション・ゴールド』(同52年)、『プレイバックPart2』(同53年)などヒット曲を連発した。

ただし「百恵人気は不動」といわれる中、55年3月に引退を発表。同年10月に日本武道館で行われたファイナルコンサートでは、最後に涙の絶唱となり、ささげ持った純白のマイクを足元にそっと置いて舞台を後にした。その顛末は戦後芸能史における〝名シーン〟として、今も語り継がれている。

引退後は専業主婦となりメディア露出はないものの、長男の三浦祐太朗はシンガーソングライター、次男の三浦貴大は俳優として活動。さらに昨年には祐太朗に女児が産まれ、待望の初孫となった。今も山口百恵のDNAは、脈々と受け継がれているのである。

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