本誌『週刊実話』が誕生したのは昭和33(1958)年のこと。前々年の経済白書が〝戦後の終結〟をうたい、日本経済が飛躍的な成長を遂げた時期に、『実話出版』から9月22日号として創刊された――。その後、一時的な休刊を経て昭和42年5月、『日本ジャーナルプレス新社』(弊社『日本ジャーナル出版』の旧社名)の設立とともに復刊。以来、週刊誌として発行され、今年創刊65周年を迎えたのである。その65年の歴史の中から選びぬいた、いまも輝ける時代のヒーローたちをご紹介。
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〝ミスター〟こと長嶋茂雄は、昭和が生んだスポーツ界の大スターである。昭和33年に読売巨人軍に入団、その人生は常に劇的だった。
長嶋は「記録より記憶に残る」との形容が誰よりもふさわしい選手。公式戦デビューとなった同年4月5日の対国鉄スワローズ戦では、金田正一を相手に4打席4三振。翌年6月25日に行われた後楽園球場での天覧試合では、9回裏に阪神の村山実から劇的なサヨナラホームランを放つなど、終始豪快かつ華やかなプレーが注目を浴びた。
また、長嶋デビューの翌年に王貞治が入団すると、「ONコンビ」の活躍で昭和40年から巨人のV9時代が始まった。国民のヒーローとなった長嶋は、同49年のV10消滅とともに現役引退を表明。引退セレモニーでは涙をこらえ、「巨人軍は永久に不滅です」との名言を残してグラウンドを去った。
監督になっても圧倒的存在感
ただ、その存在感はのちに監督に就任してからも圧倒的だった。最もファンの記憶に残っているのは、第2次監督時代にリーグ優勝を決めた平成6年の10.8決戦だろう。プロ野球史上初めて、最終戦時の勝率が同率首位となった中日と巨人が直接対決。見事、巨人が勝利をもぎ取り、リーグ優勝を果たしたのである。
後年、長嶋はアテネ五輪の野球日本代表監督に就任したが、平成16年に脳梗塞で倒れている。しかし、懸命なリハビリによって野球観戦できるまでに復活。令和3年に行われた東京五輪の開会式では、王、松井秀喜とともに新国立競技場で聖火ランナーを務めた。〝昭和のヒーロー〟は、今なおファンを魅了し続けているのだ。
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