今年3月28日に死去した世界的な音楽家・坂本龍一さん(享年71)は、亡くなる数日前に家族や医師に「つらい。もう、逝かせてくれ」と頼み込むほどだったという。坂本さん以外にも、凄絶な闘病の末に旅立った著名人は多い。
「私がいま侵されている病気の名前、病名は『ガン』です」
1993年9月6日、国民的人気を誇った名司会者でフリーアナウンサーの逸見政孝さん(享年48)が自ら記者会見を開き、ガンで闘病中であることを告白した。
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今でこそ珍しくない〝ガンの闘病会見〟だが、まだ当時は「死を意味する病」で、国民に与えたショックは計り知れないものだった。
大阪府で生まれた逸見さんは、早稲田大学卒業後、68年にアナウンサーとしてフジテレビに入社。ニュース番組『FNNスーパータイム』の初代キャスターなどを経て、88年にフリーに転身した。
「ニュースキャスターらしい眼鏡に七三分けのお堅い容姿からは想像もつかないユーモアセンスの持ち主で、フリー転身後は〝いっつみい〟の愛称で親しまれ、『たけし・逸見の平成教育委員会』などのバラエティー番組で人気を博した。男性アナウンサーのイメージをガラリと変えた人でした」(芸能記者)
ガン検診の受診者数も急増
しかし、人気絶頂だった93年1月、定期健診で胃にガンが見つかった。伝説のグラドル・堀江しのぶさんの命を23歳で奪った「スキルス性胃ガン」だった。
「すでに厳しい病状だったようですが、医師から早期発見だと告知され、胃の4分の3を摘出する手術を受けた。表向きは十二指腸潰瘍と偽って1カ月休養し、すぐに仕事を再開したのです」(同・記者)
以降、逸見さんは約8カ月の間に3度もの手術に臨んだ。2度目の手術後、医師の治療方針に懸念を抱いたご家族が別の病院も受診するように懇願。「主治医に失礼だ」と断っていた逸見さんが折れ、「セカンドオピニオン」に踏み切ったが、すでに手遅れだった。
「逸見さんのおかげで『セカンドオピニオン』という言葉が世の中に知れ渡り、それまでは本人に知らせない方が主流だったガンの告知も一般的になり、ガン検診の受診者数も飛躍的に増えたそうです」(同・記者)
衝撃の会見の終了直前、報道陣から「生還してください」とのエールが飛ぶと、「闘いに行ってきます」と応じた逸見さんだったが、3カ月後の12月25日、家族や友人らに見守られながら旅立った。
日本人に「ガンとの闘病」という概念を植え付けたのは、逸見さんだったと言っても過言ではないだろう。
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