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『週刊実話』創刊65周年特別企画・本誌が選んだ時代のヒーロー〜昭和40年代・輝きを失わない“日本の大女優”吉永小百合

吉永小百合
吉永小百合(C)週刊実話 

本誌『週刊実話』が誕生したのは昭和33(1958)年のこと。前々年の経済白書が〝戦後の終結〟をうたい、日本経済が飛躍的な成長を遂げた時期に、『実話出版』から9月22日号として創刊された――。その後、一時的な休刊を経て昭和42年5月、『日本ジャーナルプレス新社』(弊社『日本ジャーナル出版』の旧社名)の設立とともに復刊。以来、週刊誌として発行され、今年創刊65周年を迎えたのである。その65年の歴史の中から選びぬいた、いまも輝ける時代のヒーローたちをご紹介。

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昭和に活躍した女優は星の数ほどいるが、その中で「国民的スター」といえば、やはり吉永小百合に勝る者はいないだろう。

〝サユリスト〟なる言葉が登場したのは、彼女が早稲田大学で西洋史を学んでいた昭和42年ごろのこと。圧倒的な美貌と清純さ、そして類いまれなしとやかさが話題を呼び、彼女に憧れる男性たちを指す造語として生まれたのである。

その吉永は昭和20年3月13日、東京に生まれた。3人姉妹の次女だった彼女は幼少期から芸能界に憧れ、11歳でラジオドラマ『赤胴鈴之助』に出演。昭和34年には映画『朝を呼ぶ口笛』で銀幕デビューを果たし、翌年、日活に入社した。

結婚後も本格女優として活躍

折しも、吉永が女優として花開いた昭和30年代後半から40年代は、高度経済成長の真っただ中で、邦画業界も上り調子。そうした時代を背景に、彼女は『キューポラのある街』(昭和37年)や『伊豆の踊子』(同38年)、『潮騒』(同39年)、『愛と死をみつめて』(同)など、数多くの作品に出演し、ブルーリボン賞をはじめとする映画賞を総なめにした。

他方、私生活では15歳年上のフジテレビディレクターで、のちに共同テレビの社長となった岡田太郎氏と28歳のときに結婚。これを機に本格女優へと脱皮していった吉永は、昭和55年に公開された高倉健との共演映画『動乱』では耐える妻役を熱演。その後も数多くの映画やドラマで活躍した。

現在、吉永は78歳。今年9月に公開された映画『こんにちは、母さん』に主演するなど、今も精力的な活動を続けている。

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