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内田有紀“奇跡の48歳”プリプリピーチと健康美脚にオファー殺到の兆し

内田有紀
内田有紀 (C)週刊実話Web 

年齢を重ねるにつれ、ますます美しさに磨きがかかり、かつ、若々しさも保っているのが今年4回目の年女の内田有紀だ。先日は〝美脚大賞〟にも選ばれた。〝奇跡の○歳〟は彼女のためにあるような文言だ。健康美のぷりぷりピーチはまさに天下一品!

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30代の上戸彩(38)より、若くてセクシーに見えました」(芸能レポーター)

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11月16日、48歳(1975年生まれ)になった女優の内田有紀は先頃、都内で行われた『第19回クラリーノ美脚大賞2023』の授賞式に出席。見事、『オーバーフォーティー部門』を受賞した。

「この賞は、さまざまなシーンで活躍する健康的な美脚女性を応援するのが目的。内田のほか、『ティーン部門』を天翔天音、『20代部門』を今田美桜、『30代部門』は上戸彩が受賞しました」(広告代理店関係者)

ブラウンのワンピース、ブルーグレーのパンプスで登場した内田は、今回の受賞について、

「若干、恥ずかしい思いがあります」

と笑みを浮かべ、

「美脚というより、生きていく上で、たくましい脚というカテゴリーかなと思っております」

と自身の脚についてコメントした。

「たくましいだなんて、とんでもない。ステキな脚ですよ。あの脚にはさまれたら、男はアッという間だろうなと思いました」(芸能ライター・小松立志氏)

孤独な少女時代の〝翳り〟

美脚の秘訣について内田は、

「私、キャンプが趣味でして、悪路の山道をガシガシ歩くんですね」

と話し、続けて、

「40代に入って筋力が落ちたなあと思うことが多々あります。ですが、自分に自信を持って、背筋を伸ばして呼吸を整えて、自分が大地を踏みしめて歩いているなと思いながら歩いています」

と意識しながら歩いていることを明かした。

そして、

「自分がしているケアといえば、いくつになっても自分の脚で健康に歩きたいというマインドで、これが秘訣なんじゃないのかな」

と語った。

ネット上では、

《内田有紀さん、とても美人だよな》

《ほんと、ショートカット 似合ってかわいいよね》

《この方こそ奇跡でしょ》

など、絶賛の声が寄せられた。

現在、『ソニー損保』や『コルゲンコーワ』のCMの他、ドラマ『フィクサー シーズン3』(WOWOW・10月8日〜11月5日)にも出演していた内田。

「見るからに〝デキそうなニュースキャスター〟役がハマっていました。でも、仕事量の少なさというか、露出の少なさが、とても残念です」(民放ドラマプロデューサー)

内田は小学校2年生の頃、両親が離婚。

「そのため、父・祖父母・母の元を転々とする孤独な少女時代を過ごしました。今でも、彼女が時折見せる〝翳り〟のある表情は、このときの体験が少なからず影響していると思います」(芸能関係者)

それでも、中学2年生の頃から身長165センチ、B82・W58・H83というナイスなバディを活かしてモデルを始め、1992年冬、『1993 ユニチカ水着キャンペーンガール』に選ばれると高校を中退。ドラマ『その時、ハートは盗まれた』(フジテレビ系)で女優デビューを果たした。

「高校ではフェンシングをやっていたので、今でも美脚なんです。セパレーツの水着姿で浜辺を駆けるシーンは、今でも目に焼きついています。プリプリのピーチから足先にかけての美しさは、まさに国宝級でした」(前出・小松氏)

また、歌手としてもデビューし、1994年リリースのシングル『TENCAを取ろう!〜内田の野望〜』は、いきなりオリコン初登場1位を記録した。

「1990年代は、広末涼子と並んで〝さわやか系アイドル女優〟のトップでした」(アイドル誌ライター)

もっとも、これは〝事務所の力〟によるものと言っていい。

「彼女の本当の力が発揮されるようになったのは、『結婚・離婚』を経験してからです」(ドラマプロデューサー)

映画『男はつらいよ』シリーズなどでおなじみの吉岡秀隆と〝電撃結婚〟したのは2002年12月のことだった。

「これも吉岡おなじみの作品の一つ『北の国から2002遺言』(フジテレビ系)での共演がきっかけでした。恋人役で共演しているうちに、本当にデキてしまったのです。〝芸能界あるある〟の典型でした」(前出・芸能関係者)

事務所サイドや仕事関係者の反対をよそに、〝専業主婦〟となった内田だったが、すぐに危機が取り沙汰されるようになった。

「吉岡の仕事が急増して留守がちとなり、スレ違い生活が多くなってしまったのです。その上、彼のDVのウワサまでも。これでは、〝子作り〟どころではありません」(テレビ局関係者)

そして、2005年12月、離婚。わずか3年の結婚生活だった。

階段で〝2段抜かし〟の脚力

内田には〝締まり抜群の持ち主〟という伝説がある。

「冒頭のイベントのインタビューの中では話していませんでしたが、今でも駅などではエレベーターやエスカレーターを使わず、階段の〝2段抜かし〟をやって下半身を鍛えています。美脚になるのはもちろんのこと、下半身も〝巾着〟のようになるという次第です」(同)

離婚後は、実業家や千原ジュニア、福山雅治らとの関係がウワサされた。

「〝今カレ〟柏原崇との出会いは1995年。CMで恋人役を演じたのがきっかけで親しくなりました」(ワイドショー芸能デスク)

柏原はドラマ『白線流し』(フジテレビ系)などで脚光を浴び、2004年に女優の畑野ひろ子と結婚。しかし結婚半年後、路上駐車をめぐって傷害事件を起こして書類送検され、2006年に離婚。芸能活動からも遠ざかってしまった。

「内田と柏原の2人は2001年のドラマ『ビッグウイング』(TBS系)で再会。〝友人関係〟が続いた後、2010年ごろから交際をスタートさせています」(芸能レポーター)

そんな〝バツイチ同士〟の交際は10年以上になるが、結婚はしていない。

「マスコミに発表していないだけで、すでに入籍しているかもしれません。内田は〝事実婚でもいい〟と割り切っているようです」(前出・芸能関係者)

柏原は今、内田の〝マネジャー〟として大活躍している。

「車での送迎はもちろんのこと、彼女のインタビュー原稿のチェックもやっている。まさに、公私にわたるパートナー。オフの日のデートも堂々としたものです」(写真誌関係者)

ただ、女優としての今後はどうか。

「あまり〝脱ぎたがらない女優〟としてのイメージがあります。『華麗なる一族』(WOWOW、21年)でもベッドシーンはありましたが、背中を見せるだけでした。彼への遠慮があるのかもしれません」(前出・芸能関係者)

主演を務めた10年公開の映画『ばかもの』(ゴー・シネマ)ではベッドシーンを見せている。

「ベッドで〝ぐだぐだ言ってないでイケよ〟というシーンは圧巻でした。フェロモン全開の今こそ、ぜひ、挑戦してほしいですね。〝フルオープン〟の話は10年ほど前から燻っています」(前出・夕刊紙記者)

内田の〝ユウキ〟に期待しよう。

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