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武勇伝に事欠かない月亭可朝さん~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

最初、俺はうめだ花月の進行係のアルバイトをしていたんですよ。進行係というのは、落語台を壇上にセットしたりする係です。

進行係初日、うめだ花月の事務所に行くと、「ボインはぁ〜」の『嘆きのボイン』が大ヒットした月亭可朝さんがいらっしゃったんです。「進行係になりました徳永(編集部注:洋七氏の本名)です。広島から来ました」「広島かいな。何すんねん? 落語か? 新喜劇か?」「最初は舞台の手伝いをしながら決めたいと思っています」。心の中では漫才師になることをすでに決めていたんですけど、進行係の仕事をしていれば新喜劇も落語も漫才も間近で見ることができる。それから何になりたいか決めればいいと、吉本は考えてくれていたようでしたね。

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可朝さんは俺の顔をジーッと見ながら「君は売れる! 間違いない。俺の勘はすごいねん」。初日に、それも初めて話す売れている芸人さんに褒められたから嬉しくて仕方なくてね。それから俺はみんなに言いふらしていたんです。そうしたら、可朝さんは誰にでもそう話してるっていうじゃないですか。

とにかく可朝さんは武勇伝に事欠かない人でした。お弟子さんの月亭八方さんにも聞きましたし、俺も舞台で何度も目にしました。たとえば、可朝さんと八方さんが歩いていて、自動車販売店の前を通ったらしいんです。そうしたら、八百屋で大根か白菜でも買うかのように当時800万円もする車を「買う」と言い出したらしいんですよ。

壇上で寝始めた!?

「この車は俺が買うから手付金として2万円払うわ。持って来て」。店員さんは「手付金が2万円では…」「俺、可朝やから」。5万か10万の自転車なら手付金が2万でもわかりますけど、800万円の車の手付金が2万円ですからね。

また『嘆きのボイン』が大ヒットして大忙しだった頃、舞台に上がった可朝さんは「歌が売れてホンマに嬉しいけど、疲れてますわ」と壇上で横になり寝始めたらしいんです。お客さんは大爆笑ですよ。

5分後、おもむろに起きた可朝さん、「こないことばかりしてたら会社に怒られますから、ちゃんと落語もせなあかん」と落語を始めたんです。あるときは「落語ばかりやっていてもおもろないから」と舞台の上手から下手まで、でんぐり返しを始めたらしい。そして、お客さんに「どうですか? こんな落語?」。他にも、ストリップを始めたりと色んな武勇伝がありますよ。

でもね、古典落語を披露すると上手いんです。

その後、可朝さんの言葉通り漫才ブームで実際に俺らが売れたとき、一度、新幹線の中でバッタリ会ったんです。「師匠、おはようございます」と挨拶すると「お前は絶対に売れる」「師匠、もう売れてまっせ」。周りのお客さんも笑っていましたね。

「ハッキリ言うたらな、努力したから売れるわけでもないし、売れるかどうかなんて神様でもわからん。でも、『お前は売れる』って言われたほうがエエと思うからな。特に若手はな」。

俺だって初日に「君は売れる」と言われたから頑張れたんです。やはり、売れた人たちはみんな誰が売れるかはわからないというのが共通の意見ですよ。可朝さんは人生を懸けて笑わすような芸人さんでしたね。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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