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ふとしたきっかけで浮かんだ番組タイトル~第12回『放送作家の半世(反省)記』

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(画像)rjankovsky/Shutterstock

2カ月間の期間限定で1989年2月11日から放送を開始した『平成名物TV お熱いのはお好き?/三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS系)だったが、番組がスタートするとかなり早い段階でプロデューサーから「4月以降も継続」との通達を受けた。

当時は一介の放送作家が、番組の存続に関わる政治的な会議に呼ばれることなどなく、継続決定の経緯までは承知していない。しかし、現場の肌感覚として世間の話題に取り上げられる頻度と期間限定の扱いでは、釣り合いが取れないと感じていたので、4月以降の継続を聞かされても驚きはしなかった。

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私を含めた5人の構成作家にはそれぞれ役割があり、重鎮のM氏は全体の監修役で、佐々木勝俊氏と先輩作家のN氏は『お熱いのはお好き?』の構成に加え、案内役として番組にも出演していた。もう一人の先輩であるI氏は、バンド紹介やロケのVTRを担当。そして私は毎週一人で、企画書の作成と生放送用の台本を書いていた。

そう聞くと、かなり大変な作業だと思われるかもしれないが、実際は初回から2回目、3回目あたりで全体のひな型を作ってしまえば、後は三宅裕司さんによる審査員の紹介コメント、相原勇さんのVTR前振りコメントのパターンを変えるだけなので、数時間もあれば事足りる作業だった。

むしろ大変なのは、TBS編成部と営業部に提出する企画書の作成。ゼロから新番組の企画書を書き上げるわけではなく、代替番組の後付けのようなものなので、普段以上にスポンサーサイドを意識して〝面白そうな番組〟と興味を引かせる必要があった。しかも、提出期限が数日後に迫っていながら、私は企画書をこじつける(?)序文が思いつかずにいた。

サブタイトルが正式タイトルに

そんな中、東京・九段下の日本武道館でコンサートを観た私は、六本木に向かうタクシーの車中からぼんやりと外を眺めていた。すると総務省の玄関前を通り過ぎるとき、視界にデカデカと〝平成〟の文字が飾られた照明が飛び込んできた。それは紛れもなく当時の小渕恵三官房長官が昭和天皇崩御の日(89年1月7日)、新元号として掲げた文字と同一の字体だった。

私はタクシーの行き先を自宅に変更すると、この体験と感傷を序文に落とし込み、徹夜で企画書を書き上げた。その結果、当初はサブタイトル扱いだった『平成名物TV』が正式タイトルに採用された。私も最近まで意識していなかったのだが、番組タイトルに〝平成〟が使用されたのは初めてだったらしい(笑)。そうして『三宅裕司のいかすバンド天国』は4月から2時間半の放送枠に拡大され、世間にも『イカ天』の愛称が浸透し始めた。

また、番組は業界人からも注目され、後にソニーグループ内の某レコード会社で代表を務めるT氏は当初、「今さらバンド? ホコ天ブームも終わったのに」と見下していたにもかかわらず、4月からの放送が話題になると手のひらを返して、「CM枠を取れませんか? イカ天でCMを打つとレコードが売れるんです」と連絡をくれた。番組の構成作家に、そんな力があるはずもなかったが…。

しかし、これこそがテレビが生み出すブームであり、社会現象なのだ。渦中にいても他人事のような、私にしても初めての感覚だった。

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