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12歳の少年が16歳年上の人妻に恋心を抱いたときから始まった香川照之の過酷な運命【歌舞伎界「性」の闇⑤】

香川照之
香川照之 (C)週刊実話Web

歌舞伎役者・市川猿之助被告が、両親に睡眠導入剤を服用させて自殺を手助けした罪に問われている裁判の初公判が10月20日に始まった。〝一家心中〟の引き金になったのは、『女性セブン』がスクープした猿之助による男性への「セクハラ疑惑」だったが、歌舞伎界の〝性の闇〟はジャニーズ以上とも言われている。

初公判を迎えた市川猿之助被告の先代は、今年の9月13日に不整脈のため83歳で亡くなった二代目市川猿翁。俳優・香川照之(九代目市川中車)の実父で、猿之助被告の叔父にあたる。


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「猿翁」は隠居名で、三代目市川猿之助として49年間も活躍。舞台での宙乗りなどを取り入れた「スーパー歌舞伎」の創始者で、歌舞伎界の革命児だった。

猿翁は、12歳で日本舞踊の藤間流に入門。師匠・六世藤間勘十郎(二世藤間勘祖)の妻で16歳も年上の藤間紫に一目惚れする。

「猿翁にとっては初恋の相手だったそうですが、藤間は子持ちの人妻。しかも、夫は自身の踊りの師匠ですからね。16歳という年の差もあり、まさに〝禁断の恋〟だったわけです」(演劇担当記者)

なんとか諦めをつけた猿翁が1965年に結婚したのが、元宝塚歌劇団雪組のトップ娘役で女優の浜木綿子だった。

「浜との間に生まれた一人息子が香川照之でした。しかし、猿翁は藤間への思いが断ち切れず、浜との結婚生活は1年あまりで実質の破綻を迎えたのです」(同・記者)

浜と香川を捨て、藤間と駆け落ち同然の暮らしを始めた猿翁は、68年に正式に離婚。藤間が85年に勘十郎から離婚調停を申し立てられるまでは「不倫関係」が続いた。

「結局、藤間の離婚成立を待って、2000年に結婚。猿翁は12歳のときに恋心を抱いた相手と晴れて夫婦になれたのですが、その9年後に藤間が肝不全のため死去し、2人の関係は終焉しました」(同・記者)

「あなたは息子ではありません」

一方、浜は女手一つで香川を育て上げ、東大に進学させていた。

「母親である浜は、香川に東大を卒業させることで歌舞伎界とは縁のない世界で活躍させるつもりだったのでしょうが、香川は東大卒業後、猿翁に会いに行ったのです」(同・記者)

しかし、猿翁は「あなたは息子ではありません。今後、あなたとは二度と会わない」と突き放したのだ。

絶望した香川は俳優として成功することで、父に認めてもらおうとしたのではないか。ドラマや映画でキャリアを積み、ついには日本を代表する演技派として確固たる地位を築いたのである。

「浜の思いとは裏腹に、香川は父のいる歌舞伎の世界に入りたいと何度も懇願し、その度に猿翁に拒絶されていた。しかし、藤間が亡くなり、猿翁も体調を崩したあたりから風向きが変わった」(前出・演劇担当記者)

このとき、香川が頼ったのが、従兄弟にあたる猿之助被告(当時は市川亀治郎)だった。亀治郎が「猿之助」の名跡を継ぎ、香川は「市川中車」を名乗ることで、ついに歌舞伎界入りを許されたのである。

この襲名会見時、香川は猿翁に「浜さん、ありがとう。恩讐のかなたにありがとう」と言わせることで、すべてのわだかまりが無くなったかのように〝演出〟してみせたのだが…。

【歌舞伎界「性」の闇⑥】につづく

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