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「ハンパねぇ」漫才師トータルテンボスインタビュー~今、また追い風を感じてますね~

トータルテンボス
トータルテンボス (C)週刊実話Web

スタイリッシュな大村さんのボケと、アフロヘアーの藤田さんの大仰なツッコミで人気の漫才コンビ、トータルテンボス。YouTubeでも人気で、藤田さんがイタズラに遭う姿をご記憶の方も多いだろう。そんな彼らに、今また〝追い風〟が吹いているというが…。


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――YouTube『佐久間宣行のNOBROCK TV』での「100ボケ100ツッコミ」動画が話題のトータルテンボスさんです。8月現在、なんと1012万回再生です!

大村朋宏(以下、大村)

「あれは僕らの真骨頂ですね。いつでもできるよね」

藤田憲右(以下、藤田)

「ほぼ素で、技術もへったくれもないです。ただノリでやってるだけなんで」

――ゲストと会話しながら自然にボケるお2人がすごいと評判です。

大村「若かりし頃、コンパで築き上げてきたコンビプレーが生きてますね」

――(笑)。見事なコンビプレーです。お2人は小学校からの同級生ですよね。

藤田「小学校のときは野球チームで一緒で、中学1年で同じクラスになって、3年間同じクラスでした」

大村「部活も一緒だったし、家に帰る方向も一緒だったし、必然でしたね」

――それがきっかけですか?

藤田「でも、つまんないヤツだったら友達になってないと思うんですよ。価値観が一緒だったかな、面白いと思うポイントが」

――中学時代の大村さんって、どんな感じでしたか?

藤田「大村はけっこう発言でボケて笑いを取りに行ってました。『こいつやるな』って刺激されましたね」

大村「僕、1年から3年まで学年の前期だけ学級委員長だったんですよ。他薦で選ばれるんで」

藤田「で、クラスをめちゃくちゃにしちゃうんで後期は真面目なヤツが推薦されて、投票で大村が惨敗するという(笑)」

大村「学級委員長になれば目立てるんで、ボケやすかったってのはありますね」

同級生ゆえのコンビプレー

――藤田さんはどんな中学生だったんですか?

大村「典型的な男子から好かれるタイプですね。体がデカいから先輩に目をつけられるんですよ、生意気だって。でも、ひるまないんですよ」

藤田「ひるまないっすね」

大村「上から目をつけられて嫌がらせされて、泣きながら石投げてました。変なヤツだなって、人気者でしたよ。女子からはめちゃくちゃ嫌われてたけど(笑)」

藤田「タブーを破るのが好きでしたね。やっちゃいけないことをするみたいな」

――たとえばどんな?

藤田「彫刻刀でチョークを彫ってチ○ポ作ったり」

――それ最高です(笑)。

藤田「大村がその上を行きたがって、技術の授業中に木彫りの超リアルなチ○ポを作ったんだよね(笑)」

大村「あとは裏筋を彫れば完成ってところで先生にバレて、呼び出されました」

――(笑)。その頃からノリが変わってないんですね。

藤田「オリジナルの笑いを取ることは、中学で育まれましたよね」

大村「結局、下ネタばっかりですけど」

――その後、お互い大学を辞めてコンビを結成されて、NSCに入られたんですね。

大村「世間知らずでしたね。すぐテレビに出る即戦力のための学校と思ってたくらいですから。ネタをやるって概念を知らなかった」

藤田「ネタも何もなかったし、ネタなんかやりたくないと思ってましたよ」

――お笑いの勉強は?

大村「当時(1997年ごろ)はまだネタ番組もなく『吉本印天然素材』とかのビデオを見て研究しました」

藤田「お笑いの世界を全然知らなかったね」

大村「なまじっか1~2年目で僕たちお客さんにウケちゃったんですよ。同期でもトップ通過でネタの審査を抜けちゃってました」

藤田「すぐに売れると思ったんですよ。だから、テレビにすぐ出られるんだなと思ってたら、全然行かねえんだよね」

大村「ちょっと天狗になってた感じもありました」

藤田「劇場のオーディションも、『なんで俺らが行くの?』ってネタ見せに行かないんですよ」

大村「どイタいですよね。ルミネtheよしもとができたとき、僕らもレギュラーになれたんです。ところが関西の先輩たちが来て、実力差を目の当たりにするんですよ。チュートリアルさん、ブラックマヨネーズさんあたりが売れてない時代。こんな面白い先輩が売れてなくて、順番待ちしてたら俺らは何年かかるんだ。待ってられないから芸人辞めようと思ったんです」

――そんなことが…。

大村「それで会社に辞めますって言いに行ったら、当時の社長に『劇場でもウケてんのにもったいない』と」

藤田「まだ4年目とかだったんで、『あと1年続けてみいひんか?』って」

大村「じゃあ1年だけ頑張ってみますと」

――約束したわけですか。

藤田「あと、『自分らコントしかやってへんやろ? 今年から漫才の大会始まんねん。勝ったら1000万円やで。漫才やってみたら?』って」

大村「それが01年に始まる『M-1グランプリ』です」

「また追い風を感じてる」

――運命的ですね。

藤田「漫才なんて上手くできるわけないと思って気乗りしなかったんですよ。でも、M-1に出たら2回戦に行けて、『あれ? 漫才の適性あるのかな』と思って。そこから『自分の言葉でしゃべらせてもらっていい?』って頼みました」

――それまでは違った?

藤田「ですます口調だったんですよ。大村のボケでウケてはいるんですけど、ツッコミでウケてる感じじゃない。ガラ悪いから、地元の言葉を出すとお客さんが引くんじゃないかって大村は懸念してたみたいです。1回やってみるかって『ハンパねぇ!』とか言ったらドカンとウケたんですよ。俺、4年目で初めて自分で笑い取った感じがして、めちゃくちゃ気持ち良くて」

大村「そっから変わり出しましたね。一気に本気度が上がりました」

――04年には決勝進出して7位という成績でした。

大村「03年のM-1が終わった後、年末に大阪で『オールザッツ漫才』(毎日放送)に出たんです。絶対に漫才では関西に勝てないってコンプレックスがあったんですけど、藤田の『ハンパねぇ!』とかこういうノリがウケて準決勝に行ったんです」

藤田「あそこでだいぶ自信つかみましたね。その後にルミネの大会で優勝したりして、これ行けるぞって」

大村「すごい風が吹いてるの分かったよね」

藤田「06年のM-1は5位で終わるんですけど、なんか手応えを感じたんですよ。優勝近いかもって」

大村「そっから07年に向けて全国ツアーを回りながらアンケートをとって、どのネタがウケてるか全部データを取ったりして」

――戦略的ですね。

大村「分析して対策練らないと勝てないんですよ」

藤田「M-1を通じて漫才の技術は上がったけど、才能がそんなにないから」

大村「ただの友達なんでね。NSCで才能あるスペシャリスト同士が組んだコンビじゃないですから、僕らは」

――なるほど。

大村「途中で気づいたんですよ。台本も大事だけど、一番強い武器って仲の良さだなって。台本が大したことなくても、楽しく2人でやってるときってめちゃくちゃウケるんです。見てる方は敏感ですからね」

――バズった動画もお2人の仲の良さがよく伝わってきます。その後の反響は?

藤田「あれ以降で来る仕事って、『自由にボケてください』みたいなのが多いから、楽になりましたね」

大村「僕らは普通にやってて不謹慎なこととか下ネタも言っちゃうから、テレビにどんどん出づらくなってるなってことで、YouTubeで自由に楽しくっていう方向にシフトしてやってたんですよ。そうしたら佐久間さん(テレビプロデューサー)に呼ばれて、肩の力抜いて気楽にやってたらあんなにバズって。それによって『ゴッドタン』(テレビ東京系)に呼ばれてからまたテレビにも呼ばれてて、もう意味分かんなくなりましたね」

藤田「動画がバズって、03年のときの雰囲気に似ているんですよ、今。また追い風を感じてますね」

――次なる目標は?

大村「やっぱ、『THE SECOND』(フジテレビ系)ですね」

藤田「あー、取りたいね」

――今年は惜しくも出場を逃しましたしね。

大村「〝忘れ物〟を取りに行かなきゃなんで、次は行きますよ!」
文◉牛島フミロウ/企画・撮影◉丸山剛史

トータルテンボス(右・大村朋宏、左・藤田憲右)
1975年、静岡県御殿場市出身。吉本興業所属。NSC東京校3期生。1997年にコンビ結成。「ハンパねぇ渋谷系漫才」と注目を集め、2007年の『M-1グランプリ』で決勝2位。現在は自身のYouTubeチャンネル『トータルテンボスのSUSHI★BOYS』も配信している。

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