戦後のミステリー界で、今どきの言葉で形容すると群を抜いて〝クセがスゴい〟作風を貫いたといえば都筑道夫で異議なし、だろう。
いきなり読者に向かって「きみ」と二人称で始まる『やぶにらみの時計』、あるいは語り手が探偵であり犯人でなおかつ被害者でもある? という『猫の舌に釘をうて』など遺された長篇はみな凝りに凝った構成。また、江戸の貧民街を舞台に謎解きの醍醐味を満喫させる『なめくじ長屋捕物さわぎ』の連作をはじめ、『物部太郎』や『キリオン・スレイ』、果ては『泡姫シルビア』シリーズにいたってはソープ嬢を探偵役(!)に据えたりと、数多くのキャラクターの量産でも知られるが、賞には晩年まで恵まれず、その無冠の帝王のごとき存在感にファンは痺れたもの。
上下巻二段組、千ページになんなんとする本書。正直、作家の回想録と呼ぶより叩きあげの、職人の自叙伝といった趣が滋味深い。
海外ミステリー翻訳の裏面史的側面
敗戦の混乱期に早稲田実業を中退(しかも裏口入学だった、と隠さず書くのがいっそ清々しい)し、まだ十代でカストリ雑誌(もはや歴史用語か)の出版社へ。仕事の傍ら手掛けた講談のリライトで原稿料が発生。やがて独学で英語を習得し、気が付けば創刊間もない早川書房の『EQMM』に編集長として招かれるあたり、海外ミステリー翻訳の裏面史的側面からも読み応え十分だ。
ハヤカワ・ポケット・ミステリの質の向上と量の充実を通して、日本の推理小説全体の底上げを図りつつ、自身が世に問うべき作品を模索する過程を淡々と綴って長大な厚さを苦に感じさせない。のちに破門される正岡容と大坪砂男、二人の師匠との交わりもさることながら、早世した落語家の兄、鶯春亭梅橋の姿を記す透徹した筆致が哀切さを増す。
(居島一平/芸人)