相方の洋八とB&Bを組んだ裏には、桂三枝(現・桂文枝)さんのアドバイスがあったと以前に書きましたね。洋八は、なんばグランド花月の進行係から始め、新喜劇で通行人の役の頃に、三枝さんから紹介されたんです。
俺と洋八は意気揚々と東京に進出したけど、売れるかどうかなんてわからないでしょ。当然、不安もありましたよ。東京に進出し、テレビに数回出演した頃、初めて東京の劇場の舞台を踏んだんです。場所は、〝浅草演芸場〟でしたね。
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当時は10日間公演で、昼と夕の1日2回のステージ。初日、300人ほど入る客席を見渡すと、ウワサを聞きつけて見に来ていた東京の芸人が100人はいましたよ。
実は、東京での初舞台の数日前、三枝さんから連絡があったんです。「ちょうど東京で仕事があるから、行けたら行くわ」。1回目の昼の部で会場の雰囲気を掴み、迎えた2回目の夕方の部でも爆笑を取って、俺らは楽屋で安心していると、劇場の方から「桂三枝さんが面会です」と声が掛かった。現れた三枝さんから「おもろかったわ。これはいけるで」と一言。売れている先輩にそう言われると安心しますね。
東京進出する約1年前、新宿の紀伊國屋ホールで、やすきよ(横山やすし・西川きよし)さんとB&Bで一度、関西の漫才を披露したことがあったんです。そのとき西川きよしさんに「君らは東京でも売れる」と太鼓判を押されていたから、余計に自信になりましたよ。
食事に誘ってもらい…
漫才師をやっていると、全く売れていない先輩に若い頃はアドバイスされることもしばしばありましたけど、俺らは心の中で「俺らのことより、自分の心配をしたらエエやん」と思ってましたよ。でも、売れている先輩に言われると嬉しいものなんです。しかも、先輩が見に来るとなると、俺らも緊張するでしょ。だから「行けたら行くわ」と、2回目をこっそりと見ていてくれた。気遣いですよね。
当時の寄席のお客さんはお年寄りが多かった。でも、俺らが出ると聞きつけた若い子らが、2~3人見に来ていたらしいんです。支配人も喜んでいましたね。毎日、若いお客さんが増え、10日目の最終日には、若い子が30人くらいまで膨れ上がっていましたよ。
無事に初日を終えると、三枝さんが「飯を食いに行こうか?」と誘ってくれました。「何が食いたい?」「焼きそばが食べたいです」「やっぱり関西やな。お好み焼きとか、焼きそばばかり言うて」。焼きそばを食べ終わると、「お好みも食べ」と勧められ、お好み焼きもご馳走になりましたね。
もちろん、その日の舞台の話にもなりましたよ。でも、「あそこはこうせえとかないな。完璧やがな」と、またも褒められ嬉しかったですね。「東京の客はどうや?」「東京のお客さんのほうが笑ってくれますね」「そうやろ。お客さんがエエやろ」。大阪は、笑いの街という自負があるからなのか、やはり漫才師を見る目が厳しいんです。
それに比べると、東京のお客さんのほうが笑いのキレが良いんです。別れ際に、三枝さんから「良かったな。これはなにかあるな」と言われ、ものすごい嬉しかったのを覚えていますよ。
島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。
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