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元祖アイドルレスラー井上貴子インタビュー~50すぎまで現役でいられるのはジャガー横田さんのおかげ~

井上貴子
井上貴子 (C)週刊実話Web

群を抜くかわいらしさで〝元祖アイドルレスラー〟と呼ばれた井上貴子は、いまだ変わらぬ美貌と魅力で現役を続けながら、プロレスと真摯に向き合っている。今年11月にはデビュー35周年の記念興行を開催するというレジェンドに、長いプロレス生活の思い出と今後の抱負について、赤裸々に語ってもらった。


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――今年でプロレスデビュー35周年を迎えましたが、長かったですか?

井上 あっという間とも言えるけど、振り返ればいろいろありましたね。

――これまで辞めようと思ったことは?

井上 全女(全日本女子プロレス)に入って2日で辞めたいと思いました(笑)。

――それほど辛かった?

井上貴子
井上貴子 (C)週刊実話Web

井上 最初の頃はアイドルレスラーとして、ちやほやされていましたから、CDを出したり、写真集を出したり、試合後もインタビューやテレビ出演などで忙しくしていました。でも、そのうち同期の井上京子がメキメキ強くなって、獄門党として毎日メインで出るようになり、後輩たちも伸びてきて、振り返ると自分はプロレスで成長してなかったと気づいたんです。

そんなときに、ちょうど団体対抗戦が始まって、堀田祐美子さんと出場することになりました。全女の大会があるのに、私たちは主力選手ではないから対抗戦に出るんだなと思ったけど、うるさい先輩もいないし、しがらみもないし、堀田さんと「好きなことをやって暴れて帰ってこよう」と言って挑んだんです。

ブル中野さんにすすめられたYouTube

ところが、それがものすごく楽しかった。試合の直前まで辞めるつもりだったんですが、その日に辞めるのを辞めました(笑)。そこで初めて、自分のプロレスが自然とできたんです。注目されることでプロレスが面白くなってきました。

だから私自身は、対抗戦をきっかけにして、もっと強くならなければいけないと思い始めたので、プロレスラーとしては遅咲きという意識ですね。

――試合のペースはどれくらいですか?

井上 全女の頃は、毎日試合でした。移動以外は試合です。移動のバスで寝泊まりしていましたが、バスの中は意外とリラックスできるんですよ。先輩になれば座席を2つ使えるので、そこにボックスなどを置いてフラットにして寝ていました。プロレス漬けの毎日でしたが楽しかったですね。

今は3カ月に1回程度のペースですが、試合が決まればコンディションを整えたり、どんな試合運びをしようかと考えたり、やっぱりプロレスは楽しいです。また、試合が終わった後の爽快感がいいですね。でも、まさか自分が50すぎまでプロレスをやっているとは思いませんでした(笑)。

――現在はYouTubeの『貴子ちゃんちゅーぶ』が人気です。こちらを始めたきっかけは?

井上 ブル中野さんの『ぶるちゃんねる』にゲストで呼んでいただいた後、ブルさんと食事に行ったときに「なぜYouTubeをやらないの?」と聞かれたのがきっかけです。

初めはプロレスと関係ない人と話して、自分のスキルを上げようとしていましたが、だんだんプロレスとかけ離れてしまって。そこで、今は行きつけのお店を訪ねたり、先輩レスラーの方々にご出演いただいたりしています。引退してからお店をやっている方も多くて、お邪魔してお話しするのが楽しいです。

全女はストロングスタイル

――見ていると自由に楽しくやっていますよね。

井上 意外に思われますが、私はお酒が飲めないんです。体質的にまったく受け付けなくて、試しに飲んだときは救急車で運ばれちゃいました(笑)。でも、飲む場にいるのは好きなので、周りの皆さんが酔って記憶をなくしても、私は何でも覚えていますよ!

――どれぐらいの頻度で更新されていますか?

井上 多少、都合によって遅れることはありますけど、今のところ毎週土曜日、週一で更新しています。YouTubeを始めたら楽しいですね。昔はファンレターとか試合会場でしか、ファンの方と接することができなかったけど、今はSNSでダイレクトに交流できるし、コメントもすぐ入りますからね。

――現在はアイドル系のプロレスラーが大勢いますが、元祖アイドルレスラーとしてどう思われますか?

井上貴子
井上貴子 (C)週刊実話Web

井上 キューティー鈴木さんや私はアイドルレスラーと呼ばれていましたが、私たちはまずプロレスが一番でした。私は全女育ちなのでストロングスタイルです。強い弱いは別にしても、プロレスができてこそのアイドルレスラーではないかと思います。もちろん若くても、ちゃんとできる子はいますよ。

なので、うちの団体の後輩には、しっかりと基本を身につけさせています。練習は大変ですが、それについてきてもらわないと。受け身がちゃんと取れないと危険ですからね。プロレスラーとしての肉体をつくるためには、最低でも2年はかかります。

プロレスでは「技をもらう」とか「技を食らう」と言うのですが、基本は受け身です。「この人のこの技を私が一番美しく受けてやる」と、常にそう思って試合に挑む。それが観客の皆さんに、楽しんでもらうことにつながりますから。

他団体の子でも、教えてほしいと言われれば教えてあげますよ。私は若いときに、ジャガー横田さんから丁寧に教えていただきました。だから今でも現役でやれるんだと思います。ジャガーさんには感謝しかないですね。

11月に35周年の記念興行

――貴子さんといえばスタンガンの印象も強いですが、凶器にしたきっかけは?

井上 全女の大量離脱事件のとき、お給料が出ないとかそれぞれの事情があったのですが、私はCMの契約などが残っていて、辞めるに辞められませんでした。そのとき(井上)京子と仲違いしてしまって。後に京子とのシングル戦が決まったら報道も加熱して、2人で殺し合いをするくらいになったんです。

向こうは100キロ、私は60キロでの対戦。どうしても体の大きさでは不利なので、何か作戦はないかと考えていたときに、アメリカのスタンガンマッチを見たんです。それがヒントになって威嚇のために使い始めたらインパクト大で、凶器になりました。でも、京子とは仲直りしましたよ。

――コスチュームはその頃から黒いイメージに?

井上 コスチュームはずっとデザイナーさんにお任せでした。その方がすごく私のイメージに合わせて作ってくださって、毎回どんなコスチュームになるのか楽しみでした。たぶん、そのときに黒になったと思います。残念ながらその方が亡くなってしまって、今は他のデザイナーの方と相談しながら作っています。

――35周年記念興行のご予定は?

井上 はい、同じ35周年の京子とも何かやりたいし、私の記念興行は11月に東京ドームシティホールでやる予定です。そのときには今、懸命に練習している新人がデビューするかもしれません。プロレスはもちろん、タレントさんのショーもあります。35周年コスチュームも作る予定ですので楽しみにしてください!

井上貴子
井上貴子 (C)週刊実話Web

――では、最後に週刊実話の読者に向けて、貴子さんから一言お願いします。

井上 読者の方は青春時代を思い出して、また女子プロレスを見てほしいし、もちろん若い子たちにも見てほしい。それぞれの感性でぜひ楽しんでいただければうれしいです。

◆井上貴子(いのうえ・たかこ)
1969年11月7日、茨城県取手市生まれ。88年10月10日、全日本女子プロレスの後楽園ホール大会でデビュー(井上京子戦)。94年10月、井上京子と組んでWWWA世界タッグ王座、96年11月、WWWAオールパシフィック王座を獲得。得意技はオーロラ・スペシャル、ディスティニー・ハンマー、バックドロップ、スタンガン攻撃、バックハンドブローなど。身長163センチ、体重58キロ。LLPW-X所属。

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