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歌手/あべ静江インタビュー〜脳梗塞を乗り越え完全復帰!

あべ静江
あべ静江(C)週刊実話Web

昨春、歌謡曲ファンの間に衝撃が走った。歌手のあべ静江さんが脳梗塞を発症し、救急搬送されたというニュースがメディアを駆け巡ったのだ。本欄「美女ざんまい」で彼女にインタビューしたのは2年前の夏。発症の半年前ということになる。幸い体調は回復し、5月20日にデビュー50周年の記念コンサートを故郷・三重県松阪市で行ったばかり。本誌は再登場をお願いし、コンサート直前の思いや病気の後に書いた初めてのエッセー集のこと、新たに挑戦すべく意気込んでいることなどを聞いた。

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――お元気そうでなによりです。この記事が掲載されるときにはコンサートは終わっていますが、どのような準備をされているんでしょうか?

あべ 実はこれ、「松阪♡大好きコンサート」と題して、デビュー40周年からコロナ前まで毎年行っていたものなんです。入場料は500円。ワンコインで行うことが故郷・松阪市への恩返しと考えてきました。コロナ禍の間はできませんでしたが、コロナ明けと私の復帰報告を兼ねたのが今回のコンサートなので、予算的には苦しいけれどワンコインを維持しました。新曲『笑顔の都(みやこ)まつさか』もお披露目するのですが、それは松阪を歌った曲なんですよ。

もう一つ。これまでと違うところは、司会役として歌謡曲マニアで俳優の半田健人さんが私をフォローしてくださるんです。彼は私に詳しくて、〝あべマニア〟を自称されてるほど。自分のことで忘れてしまったことは半田さんに聞けばなんでも教えてくれるくらい。〝あべディクショナリー〟でもあるんです(笑)。

1カ月で退院にスタッフ仰天

取材会場に現れた彼女は開口一番「こんにちは〜」と一礼。コロコロと鈴を鳴らすようなあの声が、室内に心地よく響いた。会話にもよどみがなく、病後であることを忘れさせてくれる。

――脳梗塞の発症は昨年の3月でした。頭痛などの予兆もなく、異変の自覚はなかったそうですね。マネジャーさんが「いつもと違う」と気付かれたとか?

あべ そうなんです。その日はテレビショッピングの収録日で、朝8時にスタジオ入りのため、早めにマネジャーが自宅まで迎えに来てくれたんです。でも、私には断片的な記憶しかなくて、マネジャーによれば朝からムスッとしていて無愛想だったそうです。いつもは「おはよう!」と明るいのに。メーク室ではいきなりシャドーに使っているブラウンを顔に塗りだして、これはおかしいと思ったそうです。かかりつけのお医者さんに電話をしたところ、「脳梗塞の疑いがある。救急搬送した方がいい」ということになりました。その間の経緯は全く覚えてないんですけどね。

――長期間にわたる入院生活はどうでした?

あべ 1カ月間入院して、血液がサラサラになる薬の点滴と、検査を何度もしました。体のマヒや言語障害といった後遺症は一切なかったんですけど、その後、リハビリの病院に再入院したんです。そこで先生は「5カ月間入院してもらいます」とおっしゃったんですけど、私は「1週間で出る」と言い張りました。実際、1カ月で退院できたので、スタッフさんには仰天されましたね。

――辛いことはありませんでしたか?

あべ 全くありません。だって、3食必ず出てくるし、シーツも替えてくれてお掃除もしてくれる。自分は何もしなくていいんですもん。居心地が良くて上機嫌でした。ちょうど桜が咲く時期だったので、散歩中は花見もできました。ただ、脳梗塞のなせる技なのかな? というのが一つだけあるんです。病院の先生が書類に私の年齢を書くんですけど、そこには「70」とあったんです。私、「いやだわこの先生、間違ってる」とずっと思ってたんです。あとで教えてあげなきゃ、私はまだ60代よって(笑)。

しーちゃんが金的蹴り!?

あべ静江
あべ静江(C)週刊実話Web 

――退院後の日常に変化はありますか?

あべ 今は2カ月に1回、検診に通っています。今回の入院で不整脈が見つかり、心配した弟(三重県在住)の希望で「ICM(植え込み型心電図記録計)」というのを胸に埋め込みました。長期的に心電図を記録してくれて、自宅には受信機のような遠隔モニターがあるんです。私の心電図は常に病院でチェックされるようになっています。埋め込み手術自体は10分くらいで済みました。ボールペンのキャップのような形をしていて、痛みや違和感は全くないんですよ。

――芸能活動は退院の翌日から再開されたそうですね。

あべ はい。レギュラーでやらせていただいてるラジオ番組(八王子FM)の収録でした。私がお休みしている間、太田美知彦さんの相手役として半田健人さんが代役をしてくださっていたんです。病院でも看護師さんとの会話はスムーズだったので、トークの心配はありませんでした。

――その1週間後には歌手としてステージに。

あべ 私が理事を務める日本歌手協会の『歌の祭典』でしたが、そちらはちょっと不安がありました。2カ月間も歌っていなかったから、マネジャーとカラオケに行って練習しました。理事長をされてる『童謡の謎』の作家・合田道人さん(歌手・芸能事務所社長)が「当日、朝の体調で出演するかどうかを決めればいいよ」と言ってくださり、だいぶ気が楽になりました。それでも、ステージに立つと「だめだ。私、負ける」と思いました。司会のうつみ宮土理さんがいて、合田さんがいて…お2人とも長いお付き合いだから、うれしさが込み上げて泣けてきちゃったんです。そしたら『みずいろの手紙』を2人が歌ってくれたの。なおさら泣けてきちゃって。何とか歌いきりましたが特別な1日になりました。

健康のため検査は定期的に

――その翌日が、あべさんがずっと司会をされてきてライフワークともなっている『夢コンサート』(70〜80年代のスターが集結し、当時のヒット曲を披露するショー)でしたね。

あべ 江木俊夫さん(元フォーリーブス)と一緒に司会をするのですが、トシ坊(江木さんの愛称)はいきなり「しーちゃん、脳梗塞と聞いて心配したよ。やせちゃったかと思ったら…体形が変わってなくてよかった…ますます太って…違う違う、ますますきれいになって」とイジってくれて。温かい笑いに包まれて、落ち着いて歌うこともできました。脳梗塞のあと、つくづく思ったのは、「顔を見てホッとできる人たちと仕事ができるって幸せだな」ということですね。

――これを読んでいる読者もきっと身につまされていると思います。

あべ そんな経験をしたので、実は退院後に本を書いたんです。内容はいたってポジティブ。「脳梗塞を発症しても、再発を恐れる時間はもったいない」と、とことん前向きに明るく生きる秘訣や考え方を書きました。終活やお金のことなども赤裸々に綴っています。タイトルは『人生楽しく生きなきゃ損だもん!』(あらま出版)。これ、私が講演をするときのタイトルでもあるんですよ。

――健康のために始めたこともあるそうですね?

あべ 私はこれまで病気知らずでした。胃腸の検査は1年に1回、血液検査は2〜3カ月に1回必ずやっていて、脳ドックにも(発症の)5年前に受けて異常なし。それでも脳梗塞になるものなんですね。そこで、健康維持も兼ねて少林寺拳法を始めたんです。身近に道場主の方が何人かいたのもきっかけなのですが、少林寺の基本は自分を守ること(護身)なので、女性は最初に金的蹴りを習うんです。そこで思ったのは、少林寺拳法を応用して私たち高齢者向けのラジオ体操のようなものを作れないかしら、ということ。有段者になることも目標だけれど、私はそれ(ラジオ体操)を教える側になりたいの♪

◆あべしずえ
1951年11月28日生まれ。子役時代を経て、短大時代にラジオパーソナリティーに。73年に歌手デビュー。現在は東海ラジオと八王子FMでパーソナリティーを務める。アメブロ『あべ静江のみずいろの手紙』

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