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『デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場』著者:河野啓~話題の1冊☆著者インタビュー

デス・ゾーン 栗城史多のエベレスト劇場 著者:河野啓
デス・ゾーン栗城史多のエベレスト劇場著者:河野啓

河野啓(こうの・さとし)
1963年愛媛県生まれ。北海道大学法学部卒業。87年北海道放送入社。ディレクターとして、ドキュメンタリー、ドラマ、情報番組などを制作。著書の『北緯43度の雪 もうひとつの中国とオリンピック』(小学館)で第18回小学館ノンフィクション大賞、第23回ミズノスポーツライター賞優秀賞。

――〝七大陸最高峰単独無酸素〟登頂を目指した登山家・栗城史多さんを取材したきっかけはなんだったのですか?

河野 JR北海道の車内にあったカタログ誌に栗城さんを紹介した記事が載っていました。「少ない酸素でいつまでも泳いでいられるマグロのような体を作りたい」という意外な言葉に惹かれました。彼は登山の過程をビデオカメラで「自撮り」しながら登ります。登頂に涙する自分の顔まで撮っていて、「これは、劇場だ」と思いました。2008年秋、ヒマラヤの8000メートル峰マナスルに挑んだ彼は、現地のシェルパが「ジャパニーズ・ガール」と呼ぶ登山者の遺体を撮影します。一体誰の遺体なのか? 謎を解こうと取材を進めるうちに、私は栗城さんの山に対する姿勢に疑問を抱くようになりました。そして、09年秋に栗城さんが念願のエベレストに初挑戦した後、私は「ある理由」から彼との交流を絶ちました。

――栗城さんに関しては、単独、無酸素など数々の〝ウソ〟が発覚しています。なぜ、そのようなウソをついていたのでしょうか?

河野 単独無酸素の定義については、深く考えていなかったんだと思います。「とりあえず1人で登っている」という感覚だったのかと。もともとお笑いタレントになりたかったという彼のキャラクターも大きいと思いますね。

正確な表現よりキャッチーな言葉を本能的に好み、多分に話を「盛る」…。これはスポンサーから資金を引き出すためでもあったのでしょうが、同時に彼のサービス精神によるものと想像します。

矛盾に満ちた、だけど切なくて愛おしい男

――栗城さんは、18年、エベレストへの登頂を目指している最中に滑落死しました。訃報を聞いた時はどんな気持ちでしたか?

河野 実はその頃は、彼のことを思い出すことはほとんどなく、「引退した」と思い込んでいました。栗城さんは山が好きなのではなく、インターネット中継が目的のエンターテイナーです。なのに、なぜ登り続けたのか? 「まるで登山家みたいじゃないか…」と違和感がありましたね。

――河野さんから見た栗城さんとは、どのような人物だったのでしょうか?

河野 彼はごく限られた人にだけ、弱音や本音を漏らしていました。そのことを知った時、私は心が震えました。山で吐いた「苦しい」「もう限界です」という台詞を地上でも吐いていたら、もっと共感されていたし、ネットでバッシングを受けることはなかったでしょう。矛盾に満ちた、だけど切なくて愛おしい男だと今は思っています。

(聞き手/程原ケン)