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久本雅美とコントのような自宅ロケ~島田洋七『お笑い“がばい”交遊録』

島田洋七
島田洋七 (C)週刊実話Web

前回は『V6』の井ノ原快彦君と森田剛君が『佐賀のがばいばあちゃん』が大ヒットした頃、佐賀までテレビ番組のロケに来てくれた話を書きました。他にも和田アキ子さんをはじめ20人くらいが佐賀の俺の自宅まで来ましたよ。今でもよく覚えているのは〝マチャミ〟こと久本雅美さんが番組のロケで来たときです。

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自宅の庭には14〜15坪の小さな畑があるんです。マチャミを笑わせようと思い、畑に直接キュウリを10本くらい突き刺しておいたんです。いざ、マチャミが来たら「師匠、キュウリがいっぱいありますね」、「あるやろ。キレイになってるやろ」。「奥様が育てているんですか?」、「そうそう」。キュウリはツルになっているのを知らないのか、土に突き刺して栽培する方法もあるのかと思ったのか、マチャミは一向に気がつかない。しびれを切らした俺が「ギャグやろ、これ。気づけよ」と言ったら、ようやく理解したようで「ホンマや。こんな細かいギャグでビックリしましたわ」。

その隣にキュウリの育っているツルに、バナナも房ごとぶら下げておいたんですよ。それを見たマチャミは、「バナナもなるんですね。九州は暖かいですもんね」、「バナナは木になるやろ。九州は北海道よりは暖かいかもしれんけど、南国やないで」とツッコミましたよ。

体が覚えている「かまどご飯」

自宅に入り、俺がかまどで炊いたご飯と高菜の油炒めをマチャミに振る舞ったんですよ。俺は小学校2年のときに、佐賀のばあちゃんの家に預けられた。ばあちゃんは小学校や中学校、大学で掃除の仕事を掛け持ちしていたから、朝4時半には仕事へ行ってしまう。

ですから預けられた初日に、かまどのある小屋で「明日からお前がご飯を炊け」と言われ、7〜8年間毎日炊いていたんです。最初は上手く炊けなかったけど、11日目からは美味しく炊けるようになったのを今でもよく覚えていますね。理屈じゃなくて体が覚えるんですよ。「全日本炊飯大会」がもしあったら、俺は絶対に優勝すると思いますよ。

そのご飯と高菜の油炒めを食べたマチャミは「もうこれだけで何杯でもご飯を食べれますね」。「今、なんて言うた?」、「こんな美味しい高菜の油炒めだけで、他のおかずなしでも何杯でもご飯を食べれます」、「ほんなら、100杯か200杯食べや(笑)」、「いや、そんなには食べれませんよ」、「今言うたやないか。VTR巻き戻してみようか」、「兄さんは、なんでもネタにしますね」、「俺は真面目やもん。小学校のときに、先生に何でも信じなさいと言われたもん(笑)」、「私が笑わせなあかんのに、ずっと笑かしてもらってすみません」と笑っていましたよ。

しかし、その場面はもう一度撮り直すことになったんです。そうしたら今度は「この高菜は美味しいから、2〜3杯はいけますね」とマチャミ。「白々しいわ。何杯でも食べれますねのほうが美味しそうに聞こえるやろ」。全部コントになってるから、お笑いの人が来ると面白いんですよ。

後日、オンエアを見た(島田)紳助から電話が掛かってきました。「兄さんらしいですね。普通しませんよ。畑にキュウリを刺したり、バナナを房ごと吊るしたり。兄さんはすべてが面白いですわ」と言われましたね。

島田洋七
1950年広島県生まれ。漫才コンビ『B&B』として80年代の漫才ブームの先駆者となる。著書『佐賀のがばいばあちゃん』は国内販売でシリーズ1000万部超。現在はタレントとしての活動の傍ら、講演・執筆活動にも精力的に取り組んでいる。

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