3月28日に死去した世界的な音楽家・坂本龍一さん(享年71)は、亡くなる数日前に家族や医師に「つらい。もう、逝かせてくれ」と頼み込むほどだったという。坂本さん以外にも、凄絶な闘病の末に旅立った著名人は多い。
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戦後を代表する映画スター・高倉健さん(享年83)の異変を感じ取ったのは、17年間パートナーとして過ごした〝養女〟で元女優の小田貴月(たか)さんだった。
アスリートのような徹底した体調管理のため、食事もコントロールし、「食べ残すのが嫌」だと言っていた健さんが、2014年の元日に、初めてこう言った。
「貴、残していい?」
貴月さんが「何か味がおかしかったですか?」と聞くと、「とってもおいしいんだけど入らないんだ。残していい?」と言われ、それが続いたという。
2月になると左耳や喉に痛みを訴え、咳が止まらなくなり、黄緑色や茶色の痰を吐き、体重が激減する。
健さんは「風邪だ」と言い張ったそうだが、貴月さんの涙ながらの訴えを受け入れ、病院で受診。「悪性リンパ腫」と診断されたのは4月のことだった。
「慌てるな、慌てるな」
一度は〝寛解〟状態になり、退院したが、その後も入退院を繰り返し、11月9日に容体が急変。「慌てるな、慌てるな」が、聞き取れた最後の言葉だったという。
福岡県出身の健さんは、明治大学卒業後の55年にスカウトされて東映第2期生として入社し、『電光空手打ち』でデビュー。63年の『人生劇場飛車角』を機に任侠映画にシフトし、『日本侠客伝シリーズ』『網走番外地シリーズ』『昭和残侠伝シリーズ』などで人気を不動のものにした。
歌手としても、昭和残侠伝シリーズの主題歌『唐獅子牡丹』が200万枚を超えるヒットを記録。76年に東映を退社し、翌年には『八甲田山』と『幸福の黄色いハンカチ』で第1回日本アカデミー賞主演男優賞を受賞している。
「松田優作さんが命を懸けて撮影に挑んだハリウッド映画『ブラック・レイン』でも共演。『鉄道員(ぽっぽや)』などでも国内外から高い評価を受け、数多くの賞も受賞しましたが、12年の『あなたへ』が遺作となりました」(芸能記者)
入退院を繰り返す中でも筋トレを続けたという健さんについて、貴月さんは著書でこう書き残している。
「薬や機械に頼ることなく、最後に自らの呼吸で旅立つまで、頭の中にあったのは〝次の一本〟でございました」
健さんは、生涯「高倉健」を演じ切ったのだ。
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